今夜、歴史は動くのか。米4大プロスポーツの中で唯一、日本人が到達していないアメリカンフットボールの最高峰NFL。そのドラフト会議が23日にペンシルベニア州ピッツバーグで開幕し、日本時間の25日深夜1時から最終の3日目が始まる。そこで日本初の指名を、可能性をもって待つ選手がいる。ハワイ大のキッカー松澤寛政(27)。20歳になってから「独学」で競技を始めた超異色のプレーヤーだ。
会場に歴代最多の32万人が詰めかけるなど、米国民を熱狂させているドラフト会議2026。3日間の初日は1巡目の選択があり、ラスベガス・レイダースが全体1位でインディアナ大のQBフェルナンド・メンドーサを指名した。21世紀に入って勝ち越し3回だけの弱小チームを、昨季16勝0敗で初の全米大学王座に押し上げて最優秀選手「ハイズマン賞」に輝いた司令塔だった。
米国で最も人気の高いスポーツ。夢をかなえていく瞬間が華々しく生中継される一方、松澤の名は呼ばれなかった。2日目も2~3巡目が日本時間25日に実施されたが、同様だった。とはいえ、もともと「指名の可能性があるとすれば」と想定されていたタイミングは最終日だ。4~7巡目で全257人の枠に食い込めば、体格や身体能力の差が最も大きく「日本人には無理」と言われ続けてきたNFL挑戦史の、最後のページが埋まる。
その扉を開こうとしている松澤は、日本の高校や大学でトップだったわけではない…どころか、成人するまで未経験だった。千葉・幕張総合高までサッカー部で、FWとして県8強。しかし、大学受験に2年連続で落ちて大学でも続けることを諦め、人生探しで渡米していた際にアメフトと出合った。
「どん底」だったという19歳の秋、オークランドでレイダースの開幕戦を観戦して魅了され、突拍子もなく「NFLに入る」と決めた。
帰国後、楕円(だえん)球を買って、米シカゴ発のステーキハウス日本初上陸店でアルバイトしながら、夜の公園で蹴り込んだ。日本人未到の舞台へのチャレンジを、前例のない手段でスタート。ESPNなどがドラフト会議を前に松澤の特集を組んだように、その異例さは本場でも注目されている。
目指す「キッカー」は、敵陣のポール2本の間にボールを蹴り入れ、フィールドゴール(FG=3点)と、タッチダウン後の追加得点機会トライ・フォー・ポイント(TFP=キックは1点)を狙うポジション。専門職だ。その有名選手たちの動画をYouTubeで見ながら独学で練習し、フォームをまねした。英会話の勉強も自力だった。
2年後の21年8月、オハイオ州の短大へ。語学習得に努めつつ、プレー面では約50の学校に自身のキック映像を送って売り込んだ。95%以上に“無視”された中、反応してくれた同校に活路を見いだす。22歳の秋に、初めて試合自体に出場した遅咲きとなった。
在学中は米国の著名な指導者にも連絡を試み、年下の高校生たちと見本市で競い合った。有望株がそろうキャンプへの招待を勝ち取り、奨学金なしの一般入部で23年8月にハワイ大へ編入。1年目は練習生として本格デビューに備えた。
2年目の24年に定位置をつかむと、奨学金も得た3年目に大ブレーク。25年の開幕戦からFGを25本連続で成功させ、NCAA(全米大学体育協会)1部の最上位カテゴリーFBS(フットボール・ボウル・サブディビジョン)最高記録に並んだ。「Tokyo Toe(東京のつま先)」の異名でも人気を博した。
シーズンを通しても全米2位のFG27本(試行29回)を決め、TFPも全40本に成功。計121得点で所属地区の得点王に輝き、最長は52ヤードまで沈めた。最も歴史があり、昨季で136回目のウォルター・キャンプ・フットボール財団をはじめ、ポジションごとに最も活躍した選手を選ぶオール・アメリカンにも複数選出。全米最高の大学生キッカーに贈られる「ルー・グローザ賞」も、受賞こそならなかったものの最終候補3人に残った。一躍、米カレッジ界で屈指のスペシャリストに。26歳になっても進化が止まらない。
188センチ、91キロでキッカーとしては体格も見劣りしない。27歳の誕生日を迎えた年明け1月には、世界中から優秀なアスリートを発掘してスキルを磨くインターナショナル・プレーヤー・パスウェイ(IPP)プログラムに合格。ドラフト指名候補選手によるオールスターにも出場した。2月には候補生が一堂に会してアピールするNFLコンバイン参加も果たし、そのまま米本土に残ってドラフト会議を待っていた。
NFLは1920年に前身組織が発足してから107年目。日本では1934年(昭9)に初めて、アメフトの公式戦を早稲田大などが行ってから90年を超えたところだ。ついに日本人が壁を破る時が訪れるか。
他の米4大プロスポーツは、NFL以外は日本人が到達。野球の大リーグ(MLB)は村上雅則が1964年に、バスケットボールのNBAは田臥勇太が04年に、アイスホッケーのNHLは福藤豊が07年にプレーした。野球では大谷翔平のように両リーグのMVPを獲得する選手も現れているが、アメフトだけは時計の針が動いていなかった。
これまでは、守備選手のLB河口正史が2002年から2年連続で49ersのキャンプに参加。攻撃選手のWR木下典明も07年から2季、ファルコンズに練習生として招かれ「最もNFLに近づいた男」と期待されたが、本契約までは勝ち取れなかった。
相撲の20年アマチュア横綱で、アメフトに転向して守備選手のDLとなり、同じく初のNFL入りを目指していた185センチ、127キロの花田秀虎(24)でも、前段階のIPPプログラムにすら残れなかったほどの狭き門。松澤が初めてドラフト指名されれば、日本のスポーツ史でも“事件”級の話題となる。【木下淳】
◆松澤寛政(まつざわ・かんせい)1999年(平11)1月8日生まれ、千葉県市川市出身。幕張総合高サッカー部では背番号3の主将として夏の総体、冬の選手権ともに県ベスト8。大学受験で1浪も不合格後の19年、アメフト経験者の父に勧められて2週間、米国旅行。NFLレイダース-ラムズ戦を観戦してアメフト転向を志した。21年、米オハイオ州ネルソンビルの公立2年制ホッキング大に留学。23年、ハワイ大に編入。25年の開幕戦でスタンフォード大を破る決勝FG。全米2位のFG27本を決めて、大学初のコンセンサス・オール・アメリカン(主要5選考のうち3受賞以上)。ドジャース大谷翔平に憧れており、背番号も同じ17。188センチ、91キロ。


