明大ラグビーが、22大会ぶりに頂点に立った。67年間監督を務め、96年に亡くなった北島忠治元監督(享年95)の信条だった「前へ」がチーム復活へのカギを握っていた。昨年まで5年間監督を務め、現在はチームアドバイザーを務める丹羽政彦氏(50)は天国の恩師を思いながら、学生たちの北島イズム継承を喜んだ。

田中監督、福田主将に続き、選手たちの手で丹羽氏の体が宙に舞った。「嫌だと言ったんだけど、胴上げされちゃって。うれしかったけど」。照れながらも、丹羽氏はうれしそうに笑った。そして「(北島)先生の最後の教え子の田中監督のもとで、亡くなった年に生まれた選手たちが優勝した。縁を感じるし、先生の力かも」と話した。

明大ラグビーの代名詞で、北島元監督の信念でもある「前へ」で鍛えられたFWは「重戦車」と呼ばれ、早大と並ぶ大学ラグビー界の強豪として君臨。冬の国立競技場で「雪の早明戦」など数々の名勝負を繰り広げ、90年代までのラグビー人気をけん引した。

しかし、96年に求心力を失ってから、明大は長く低迷した。後任指導陣の金銭不正疑惑もあって、指導体制も固まらなかった。北島元監督を知る学生もいなくなり、その教えも忘れられてきた。「前へ、という言葉だけでなく、先生の教えや思いを伝えるのが我々の仕事」と丹羽氏は話す。

「学校に行け」は北島元監督の口癖。「学生の本分は勉強」と、普段の生活から厳しかった。丹羽氏は監督時代に生活の見直しを学生に徹底。授業に出られるように、練習は朝6時半からだった。早起きのため夜遊びはできない。生活が変わると、成績も上がった。

昨春、新チーム最初のミーティングで、田中監督は「前へ」の意味を選手に語った。「プレーだけではない。生き方であり、逃げない姿勢、それが明治のラグビーだ」と。昨年6月、現役やOBが恩師をしのんで毎年行う「北島祭」では、学生たちが大学選手権優勝を誓った。丹羽氏は、OBたちからの祝福電話の対応に追われながら「先生も、天国で喜んでくれていると思います」と、北島イズムを継承した学生を頼もしそうに見つめた。【荻島弘一】