今大会限りでの退任が決まっている日本代表のジェイミー・ジョセフ・ヘッドコーチ(53)は、アルゼンチン戦が最後の指揮となった。

ポリシーをぶれさせることなくW杯メンバー33人を選定。本番のヤマ場を想定し、国際舞台で通用するポテンシャルを大前提に、極限に追い込まれた状態での振る舞いも評価してきた。16年秋に初めて指揮してから7年。フランスでの戦いを世界最高峰エベレスト登山に例えた。頂=優勝を信じる仲間たちと目指したが、夢は志半ばでついえた。

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8月5日、時刻は午後11時を回っていた。蒸し暑い東京・秩父宮ラグビー場でフィジーに12-35で敗戦。日本はW杯フランス大会前の23年国内テストマッチ5戦を1勝4敗で終えた。この10日後には、本番の登録メンバー発表が予定されていた。試合後のロッカールーム。全員が集まった場で、メンバーの内示が行われた。喜びと悲しみが入り交じる空間を出ると、主将の姫野は同じFW第3列で選外となったマキシと抱き合った。目頭を親指と人さし指ではさみ、取材エリアでは23歳のCTB長田が「W杯代表入りへの手応え」を問われ言葉を詰まらせた。

当初は翌6日朝の内示を予定していた。しかし「12時間で何が変わるのか。選手、スタッフがしんどい思いをするなら、試合後に伝えた方がいいのでは」。ジョセフHCは、首脳陣の間で出たその意見を尊重した。落選者にだけは心情を配慮し、フィジー戦前に自ら伝えた。泣いている選手もいた。のちに姫野は「素直に喜べず、拍手もない。落選した選手も同じ分の努力をして、汗を流して、涙してきた。仲間であり、家族」と振り返った。

ジョセフHCには信念があった。「いい選手であっても、入らない例も出てくる」。19年大会前より日数は減ったが、今年も選考前に約2カ月の共同生活で合宿や試合をこなした。コロナ禍で代表活動を休止した20年を除いた3年で、候補選手の素顔は見える。日本が掲げるラグビーは速く、ボールが動くスタイル。規律を守って反則を減らし、大柄な相手を止め続ける献身性も必要だ。厳しい練習中に物に当たった者、プライベートを優先した者、消極的な姿勢を示した者はメンバーから遠ざかった。一方、昨春には当時21歳のSO李の姿勢を「ジャージーが欲しい意欲が伝わってきた」と買った。一芸に秀でることよりも、自身が掲げたスタイルを遂行できることに重きを置いた。

責任は背負った。選考の前段階で首脳陣と意見交換はするが、最後は全て1人で決めた。強化を担当する藤井雄一郎ディレクター(D)も「全部を1人で背負って『これでいく』と決めている。簡単な決断じゃない。それを支えないといけない」と力を込めた。15年大会までW杯通算1勝の日本は、旧ティア1(世界の強豪10カ国)とのテストマッチで簡単に勝てる立場ではない。藤井Dは「ジェイミーにとって一番重要なのは、スタッフを含め、負けても同じエネルギーで戦えるメンバー」と代弁した。

現役時代は王国ニュージーランド、低迷期の日本代表で戦ってきた。日本人の特性を知り、こだわったのは一枚岩な集団。集大成の一戦を終え、重圧から解き放たれたジョセフHCは全員をねぎらって言った。「これ以上のことは求められない。HCの役割はあるけれど、選手、スタッフのハードワークも重要だった」。【松本航】

◆ジェイミー・ジョセフ 1969年11月21日、ニュージーランド(NZ)生まれ。オタゴ大卒。NZ代表20キャップで、95年W杯準優勝。95~02年はサニックスに所属。日本代表9キャップで、99年W杯出場。引退後はスーパーラグビーのハイランダーズでHCを務め、15年に優勝。16年9月に日本代表HC就任。19年W杯で初の8強。今回のW杯後は選手の採用、首脳陣のサポートや指導も行うヘッド・オブ・ラグビーでハイランダーズに復帰。現役時代はフランカー、NO8。196センチ、110キロ。