男子テニスでアジア人最高位の世界ランキング4位に輝いた錦織圭(36)が1日、今季限りでの現役引退を発表した。Xを更新し「『やり切った』と胸を張って言える自分がいます」と表明した。16年リオデジャネイロ五輪で日本勢96年ぶりの表彰台となる銅メダルを獲得。跳び上がって打つ代名詞の「エア・ケイ」などを武器に、日本を世界水準へ押し上げたパイオニアだが、近年は故障が相次いだ中で大きな決断を下した。
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日本テニス界で100年に1人と称された錦織に、ラケットを置く時がやってきた。「今シーズンをもって現役を引退する決断をいたしました」と報告。「トップ10という場所までたどり着けたことは大きな誇り」と万感の思いを記した。
「小さい頃から夢中になり『世界で戦いたい』という思いだけを胸に走り続けてきました」と原点を振り返ったように、そのキャリアは異例ずくめだった。盛田ファンドの支援を受けて13歳で単身渡米。12年全豪オープン8強、ロンドン五輪8強。14年全米オープンで歴史の扉をこじ開けた。準決勝で当時世界1位のジョコビッチを撃破。アジア男子史上初の4大大会決勝進出という伝説を刻んだ。
16年リオ五輪では3位決定戦でナダルを破り、日本男子では1920年大会以来のメダルを獲得。全盛期は「勝てない相手はいない」と言い、日本人には不可能とされた領域で「限界に挑み続ける日々」だった。
一方で、たび重なる負傷との闘いでもあった。17年に右手首負傷で長期離脱を強いられ、復帰後の19年以降もひじや股関節の故障に苦しんだ。「もどかしさや不安に押しつぶされそうになったことも」あったが「『テニスが好きだ』『もっと強くなれる』という思いが、何度でも自分をコートに戻してくれました」。いくらランキングを落としても復帰し、自国での21年東京五輪8強など躍動した。全過程が「自分の人生を豊かにし、今の自分をつくってくれた」。生きざまそのものが「錦織圭」だった。
ツアー通算12勝で、勝利数は451。21年の専門メディアによれば、ナダルから「けがさえなければ、間違いなく世界トップ5の1人」と評された。錦織も「正直に言えば、今でもコートに立ち続けたい気持ちはあります」と胸の内を明かしたが、悔いは一切ない。
「『やり切った』と胸を張って言える自分がいます。テニスという競技に出会えたこと、この道を歩んでこられたことを、心から幸せに思います。残りの試合も、一瞬一瞬を大切に、最後まで戦い抜きます」
最新は世界464位も、第一人者の功績は色あせない。今後の出場予定は未定だが「情熱がなくなってやめることはない」と語っていた男は、変わらぬ姿勢で残る現役生活を全うする。
◆錦織圭(にしこり・けい)1989年(平元)12月29日、松江市生まれ。5歳で競技を始め、盛田正明テニスファンドの支援を受けて米フロリダのIMGアカデミーに留学。17歳でプロ転向。08年デルレイビーチ国際選手権で、日本男子史上最年少となる18歳1カ月でツアー初優勝。空中で体をひねりながら放つ「エア・ケイ」も人気に。20年12月に元モデルの山内舞さんとの結婚を発表。現在は2児の父。178センチ。
【錦織の歩み】
◆12年1月 全豪オープン8強。4大大会で初めて準々決勝進出。
◆同年8月 ロンドン五輪8強。
◆同年10月 楽天ジャパン・オープン優勝。日本開催ツアー初制覇。
◆14年9月 全米オープン準優勝。
◆同年11月 アジア出身男子初のATPファイナルズ初出場。
◆15年3月 世界ランキング4位に浮上。
◆16年8月 リオ五輪銅メダル。
◆同年9月 全米オープン4強。
◆17年8月 右手首尺側手根伸筋腱(けん)脱臼でシーズン後半欠場。
◆18年4月 復帰し、モンテカルロ・マスターズ準優勝。
◆同年11月 ATPファイナルズ出場。
◆20年9月 全仏オープン2回戦で右肩を負傷。
◆21年8月 東京五輪8強。
◆同年9月 左股関節唇損傷の痛みが再発。22年1月、患部を手術。
◆23年6月 下部大会で復帰し、勝利を挙げる。
◆25年4月 マドリード・オープンで、オープン化以降ではアジア勢男子史上初のツアー通算450勝。


