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為末大氏×高桑早生氏対談 前編-1

 「チャレスポ! TOKYO」に参加する01、05年世界陸上男子400メートル障害銅メダリストの為末大氏(36)と、義足のパラリンピアン高桑早生氏(22=慶大)が対談を行った。スポーツをはじめたきっかけや障害者スポーツの現状などを語り、イベント参加を呼びかけた。「チャレスポ! TOKYO」は、障害がある人もない人も障害者スポーツを気軽に楽しむことができるイベントで、11月30日(日)に東京・北区の東京都障害者総合スポーツセンターで開催された。

――二人の出会い

為末
 義足を作られている(慶大大学院の)山中(俊治)教授という方がいらっしゃって、その方のご紹介というか、本を出された時に一緒にという感じですね。僕がまだ現役の時だった気がしますね、11年かな。
高桑
 それぐらいですね。
為末
 一緒に練習をやったのは、何回かだよね。
高桑
 講演会などで会う方が多いですね(笑い)。なんかもう私からしてみれば、為末さんの隣に座らせていただくのが申し訳ないぐらい。テレビで見る人だったので、私が陸上をやり始めてから名前は知っている程度というか…。でも、お会いしてお話ししていく中で、こんなに頭のいい人がいるんだなという感じで。いろいろなことを考えていらっしゃって、興味の範囲がすごく広くて、たくさん勉強されているところをすごく尊敬しています。「メダル獲った人」ぐらいで(笑い)、あんまり現役の頃を見てないんですよね。
為末
 我々は義足をはいて走るというのが、感覚的にはあまりわからないけど、高桑さんが走っている姿とか、それについて話しているのを聞いてて、「なるほどな」というのをすごく感じたんですね。アスリートって体でできることと、説明できることがちょっと違ったりするんですけど、何となくその両方を持っている感じがするなというのが第一印象。パラリンピック自体の意義を語るというのは、人にはできるんですけど、技術的なことは結構難しくて、身体感覚のことって。それはすごいなと思っていますね。

――スポーツを始めたきっかけ

為末
 小学校の時に足が速くて、姉に連れられて陸上クラブに入ったのが最初ですね。他の競技がそんなに上手じゃなかったんですよね、球技とかが。それも良かったのか悪かったのかわからないけど、そんなに迷わずに陸上にいったという感じですね。
高桑
 私はもう気付いたら何かをやっていたという感じで。ちゃんとスポーツクラブに通ったのは、小学校1年生の時のスイミングクラブからで、スイミングやって、バレーボールやって、バドミントンをやって。スポーツかわからないけど、よさこいなんかもやって(笑い)。親の影響でテニスはずっと、物心ついたときからテニスコートでずっと遊んでる生活をしていました。小学校6年の時に骨肉腫の症状が出て、手術を3回して中学1年生で足を切断しました。3年間は中学校でソフトテニス部にしがみついたんですけど、やっぱり限界を感じて。たまたまきっかけがあって、高校進学を機に陸上部に入りました。
  • 【プロフィル】
◆為末大(ためすえ・だい)
 1978年(昭53)5月3日、広島市生まれ。広島皆実高―法大。男子400メートル障害で世界選手権2度(01年、05年)銅メダル。五輪は00年シドニー、04年アテネ、08年北京と3大会連続出場。現在は社会イベントを主宰する傍ら講演活動、執筆業、テレビのコメンテーターなどマルチな才能を発揮。爲末大学の公式サイトは、http://tamesue.jp/
◆高桑早生(たかくわ・さき)
 1992年(平4)5月26日、埼玉県・深谷市生まれ。小学6年時に骨肉腫を発症し、中学1年時に左足膝下を切断。中学ではソフトテニス部に所属。東京成徳大深谷高で陸上部に入り、頭角を現す。12年ロンドンパラリンピック女子100メートル、200メートルで7位。14年仁川アジアパラリンピック女子100メートル銅メダル。慶大体育会競走部所属。


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