あと1勝が遠かった。光星学院(青森、現八戸学院光星)は、2011年(平23)夏から3季連続で決勝に進みながら涙をのんだ。主砲の北條史也内野手(現阪神)は、12年夏の準決勝・東海大甲府(山梨)戦で史上初の2打席連続バックスクリーン弾。1大会4本塁打10打点の大活躍で、プロへの扉を開いた。

 悲運の3季連続準優勝だった。11年夏は史上4校目の全試合2ケタ安打を記録した日大三(西東京)に完敗。12年は春、夏とも、後にドラフト1位でプロ入りした藤浪晋太郎(現阪神)、森友哉(現西武)を擁する大阪桐蔭に敗れた。東北勢初の優勝はならなかったが、北條には充実感が強く残っているという。

12年8月、神村学園戦で本塁打を放つ光星学院・北條
12年8月、神村学園戦で本塁打を放つ光星学院・北條

 北條 やり残した感は、あまりないですね。2年の春は2試合で終わってしまったけど、次からは一番多く戦えたし、たくさん打席にも立てた。でも、3年の春にホームランを打てなかったことは心残りです。

 甲子園でアーチをかけることしか考えていなかった。2年夏は8打点、3年春は11打点と勝負強さを発揮したが、本塁打はゼロ。最後の夏にかけていた。

 北條 2年秋の神宮大会で逆転サヨナラ満塁ホームランを打ったけど、甲子園では打てなかった。フェンス直撃が3回くらいあったし、ポール際の大きな当たりがファウルになったのも悔しかった。パワーとスイングスピードを上げるために、夕飯が終わった後も自分が納得するまで、10時くらいまでバットを振ってましたね。筋トレも寮の廊下でやってました。

11年夏から3季連続決勝進出した青森・光星学院のスコア
11年夏から3季連続決勝進出した青森・光星学院のスコア

 地道な努力が、甲子園13試合目で実を結んだ。初戦の遊学館(石川)戦の9回、バックスクリーンに念願の第1号をたたきこんだ。続く神村学園(鹿児島)との3回戦では、第1打席に柿沢貴裕(現楽天)から左越え2ラン。準決勝の2打席連続バックスクリーン弾も含め、すべてが脳裏に焼き付いている。

 北條 1本目のホームランは、めちゃくちゃうれしかったですね。2本目のホームランは、ボールがでっかく見えたんですよ。(両手を広げて)バスケットボールくらいですかね(笑い)。フルスイングじゃなかったけど、軽く振ったら飛んでいった。あの瞬間は“ゾーン”に入ってましたね。3、4本目は絶対入らないと思ったんですけど、うまく押し込めた。バックスクリーンは狙っていたわけじゃないです。

 母校の先輩・坂本勇人(現巨人)の背中を追いかけてきた。同じ右打者の遊撃手。プロ入り後の活躍も大きな刺激となり、打撃に磨きをかけた。そして“坂本2世”と呼ばれるようになった。

 北條 ずっと坂本さんを目標にしていた。坂本さんが高校時代に夜遅くまでスイングしていたのを聞いたりしていたので頑張れた。あれだけすごい人が努力しているんだから、という気持ちになった。

 甲子園通算17試合で打率3割7分9厘、4本塁打、29打点。輝かしい実績を残し、阪神からドラフト2位指名された。

 北條 甲子園に出ていなかったら、僕はプロに行ってない。甲子園で打ったら進路も変わると、仲井監督からも言われていた。青森県の中では勝って当たり前と思われていたので、県大会のほうがしんどかった。負けたら終わりなのに、初戦も2戦目も延長だったときは震えました。甲子園は人生を変える場所ですね。【鹿野雄太】