野球の王国になるために―。プロ野球の熊崎勝彦コミッショナー(73)が夢を語った。野球人口の減少、少子高齢化、地方の疲弊…。数多くの問題に直面している球界の発展のために、同コミッショナーの抱く夢を2回、お届けします。【取材・構成=佐竹実、前田祐輔】

(2016年1月12日付紙面から)

熊崎勝彦コミッショナー
熊崎勝彦コミッショナー

 東京・田町のビジネス街の一角に構える日本野球機構(NPB)。その一室で、元最高検察庁検事の熊崎コミッショナーはゆっくりと語り始めた。

 「野球の王国になるためには」。そんな企画趣旨を伝えると、「いいテーマやね。話は長くなると思う」と前置きがあった。

 「一昨年プロ野球創立80周年を迎えて、今年は82年。長い伝統の中にプロ野球は育ってきた。その重みはすごいものがあるし、やはり先人たちの野球に対する情熱に支えられて、今日まで来た。文化的公共財と言われているけど、1つのスポーツ文化として長く揺るぎない定着をしてきた。コミッショナーに就任してから、ひしひしと責任の重さを痛感してきました」

 だからこそ感じている危機感がある。すぐに球界が抱える問題点を指摘した。

 「日本は、少子高齢化が加速度的に進んでいる。今は地方の過疎化、東京一極集中という現象も起きてきている。地方が疲弊している。そういうことが言われる中で、スポーツ文化の中心的な役割を果たしてきた野球、そしてプロ野球がどういった立ち位置に立っているか。データを見ていくと、分かりやすく言えば、青少年、少年層の野球離れがここ何年かの間にずっと進んできている」

 09年に30万7053人だった中学生の野球人口(硬式を除く)は、13年にサッカーに抜かれ、昨年は20万2488人まで減少した(表参照)。

 
 

 分母が減れば、当然競技レベルの低下につながる可能性がある。近所の公園で気軽にキャッチボールができなくなった環境面の問題、バットやグラブなど親にかかる金銭的負担、ボール1つでできるサッカーなど他競技の人気向上…。要因はさまざまある。

 「野球の競技人口、例えば中学校の野球のクラブ活動や、野球に興味を持つファンの野球離れが進んでいる。ここ何年かね。これは、少子高齢化ということだけでは片付けられない。その中で、野球がどうやって、永久的に生き残っていけるか、永久的に発展できるか。まさに野球王国というものを力強く築いていくかという1点に焦点を合わせて考えていかないといけない。そういう風に僕は痛感しているね」

 こちら側が初めて質問するまで、26分39秒。現状の野球界に対する危機感や、改善点、野球振興に対する熱い思いが一人語りで続いた。やる人、見る人の「野球人口」を増やす。14年秋にNPBは野球振興室を発足させた。年末の12球団ジュニアトーナメントは昨年で11年目を迎えた。ソフト、ハード両面の環境改善への努力を続けている。

 就任3年目に入った熊崎コミッショナー。昨季は、試合時間短縮に向けたゲームオペレーション委員会(※注1)も設置。アマチュア側とも積極的に対話を行い、4月には野球振興を目的とした合同の協議会を発足した。「プロもアマも、野球の母船は1つという考え方なんですよ」と言う。コミッショナーはいわば「野球船」のキャプテンといえる。

 「この母船をいかに力強いものにして、力強く海を渡って行けるかということ。母船の中にみんな乗っているんだから、結束できることは、結束してやろうじゃないかと。やるべきこと、考えたことは、片っ端からやっておきたいという感じはするな」


 話は、魅力あふれる球界であるための「夢」の部分に移る。8月には、20年東京五輪で野球・ソフトボールの競技復活が決定する見通しだ。野球界にとっては、大きな追い風になる。「夢」は尽きない。


 ◆侍ジャパンの強化 昨秋のプレミア12は3位に終わったが、来年3月にはWBCが控える。侍ジャパンを常設化し、U―12からトップチーム、女子野球まで、全世代が同じユニホームを着て戦う環境ができた。国内外の野球振興が、国際化には欠かせない。

 「侍ジャパンの事業を強力に推し進めようということ。これも究極の目標は野球振興から来ているんですよ。侍ジャパンの強化、チームの強化、会社の事業の収益を含めた促進というのは、野球振興という大理念、大目的の中に置かれているということを忘れてはいけない。原点を忘れてはいけない」


 ◆地域活性化 一昨年は、自民党がプロ野球16球団構想を提言した。プロ球団がない地域の活性化は、野球振興に直結する。

 「16球団という話で、新潟とか静岡とか沖縄とかあるけれど、それは1つの構想としては、傾聴に値すると思うよ。ただこれは、地域とファンと、自治体を含めた強い支えがないといかんからね。2、3年でつぶれるものじゃダメだから。いろいろ課題はあるが、恒久的、発展的に続けられるなら、基本的には素晴らしいことだと思うよ。野球の規模が拡大していくことはいいこと。そのためには、まずは基盤づくりだな。きめの細かい土台作りを、今はやっておかないといけないと思うんだよね」


 ◆〝打撃賞〟の新設 昨季は沢村賞を広島前田が受賞した。一方打撃陣はソフトバンク柳田、ヤクルト山田がトリプルスリーを達成したが、打者専門の特別表彰は受けていない。

 「沢村賞はピッチャーのもの。大変な賞で、伝統があるけど、これから50年、100年とやっていく中で、打撃でも名だたるような賞というものを、設けたい気持ちはあるんだよ。観客を引き付けるという意味においても、打撃ということ自体についても、素晴らしい方がおられるじゃないですか。そういう人たちの賞というものを、僕は設けたいな、って気がある。難しいと思うよ、基準の置き方は。だけど何でピッチャーだけあって、打撃はないのか。夢ですよ」

 野球の王国作りへ、思い描く夢は広がる。

 「天覧試合というのも、1つの大きな目玉になる。(プロとアマが日本一を懸けて対戦する)天皇杯(※注2)というものもな、非常に面白い」。夢と環境づくりは、前進するための両輪になる。16年はリオデジャネイロ五輪が開催され、サッカー、ラグビー、陸上など五輪種目が注目を集める1年。野球界にとっても、10年後、20年後につながる発展の1年にしていきたい。

 「あらゆることに神経をちりばめることが、コミッショナーの仕事だと思いますよ。なかなかうまくいかないことも十分認識してますけど、常に夢は大きく、そして1歩1歩そこに進んでいく。下がっちゃいけない。少しでも前に進めていくことが大事だと思う。そういう仕事だと思ってるんだよ」


 ※注1 ゲームオペレーション委員会 野球振興策を広く協議する目的で、昨年2月26日に発足。12球団代表者に加え、熊崎コミッショナーの呼び掛けにより、日本プロ野球選手会、NPB審判部も出席する。


 ※注2 天皇杯 昨年9月20日に他界した松原徹前プロ野球選手会事務局長の夢。プロアマの垣根をなくしたトーナメント戦の実現を目指していた。


 ◆熊崎勝彦(くまざき・かつひこ)1942年(昭17)1月24日、岐阜県生まれ。72年検事任官。96年東京地検特捜部長。99年最高検察庁検事、04年同公安部長。同年9月の退官まで「落としの熊崎」の異名でリクルート事件、金丸信自民党副総裁(当時)の巨額脱税事件などに携わる。05年からプロ野球のコンプライアンス担当のコミッショナー顧問に。14年コミッショナー就任。15年、巨人選手による野球賭博問題では迅速な調査を指示。


★取材後記 沢村賞に並ぶ打撃賞の創設―。恥ずかしながら、この表彰がないことに疑問すら抱いていなかった。熊崎コミッショナーが具体的な名前を挙げることはなかったが、沢村栄治氏と並び立つとなれば…。「打撃の神様」川上哲治氏、「ミスター」長嶋茂雄氏、「世界のホームラン王」王貞治氏らの名前が思い浮かぶ。そして、その名を冠した賞を最初に受賞するのは誰だろうか。こちらの想像もかき立てられた。

 球団数増もしかりだ。もし16球団となれば、どんなペナントレースになるだろうか。セ・パの枠組みも大きく変わるかもしれない。打撃賞も含め、実現への課題は多い。しかしプロ野球のトップは現実を直視した上で、熱く語った。危機感があるからこそ抱く夢の数々。踏み出す1歩が、球界の未来につながる。強い意欲を感じた。【佐竹実】


 ◆大リーグでは アーロンがベーブ・ルースの通算714本塁打記録(当時)を抜いてから25周年を記念した99年に、「ハンク・アーロン賞」が創設された。各リーグでその年最も活躍した打者に贈られ、ファン投票などで選出される。