早鞆(山口)がセンバツ初出場を決めた。チームを率いる大越基監督(40)はダイエー(現ソフトバンク)出身。就任3年目での甲子園となる。

 プロ出身監督の歩みは、大きな挫折から始まった。09年9月に就任した。仙台育英で甲子園準優勝投手となり、早大を中退して米国へ。ダイエーでは投手から野手へ転向して花開いた。日本シリーズも日本一も経験した。そんな自分に、選手はついてくると思っていた。だが、甘かった。「右を向けと言っても向いてくれない。言うことを全く聞いてくれなかった」。

 64年夏の甲子園で準優勝した古豪も、伝統などなくなっていた。地元よりも県外から来る選手の方が多い。部室は漫画や雑誌であふれ、バスの中にはカビの生えた弁当が転がっていた。指導は、野球以前に礼儀や掃除から始めた。

 転機は昨夏の山口大会。2試合連続で完封勝ちしながら3回戦で0-1で敗れた。「3試合1失点で負けるのは監督が悪いよ」。ダイエー時代の同僚だったソフトバンク鳥越守備走塁コーチの言葉を人づてに聞いてハッとした。「自分が変わらなければ」と気付いた。

 元プロの意識を捨て、目線を下げた。練習の前には、その練習がどういう目的か説明した。積極的に選手の中に入っていき、指導は冗談交じり。教えることは1日1個とし、試合中に雨が降れば自分も選手と一緒にずぶぬれになった。選手との絆を感じられるようになった昨秋、センバツの判断材料となる中国大会で快進撃。信頼関係を築くまで2年かかった。

 「最初は勝てないのは子どもたちのせいだと思ったこともあった。でも自分が変わったら子どもたちも変わった。子どもから教わったことも多いです」。宮崎竜之介主将(2年)は「監督はメリハリがしっかりしていて、怒るときは怒るけど褒めるときは褒めてくれます」と、信頼を込めて話す。

 「教え子が酒が飲める年になったら、一緒に酒を飲んでいろんな話がしたい。それが夢なんです」。選手とともに、23年前に踏みしめたあの舞台に戻ってくる。