<明治神宮大会:日本文理10-3今治西>◇19日◇高校の部準決勝◇神宮

 日本文理(北信越地区)の背番号「10」、公式戦初登板初先発の藤田優平投手(2年)が、7回3失点で初の決勝進出に導いた。8安打3失点で粘り、7回コールドで今治西(四国地区)を破った。沖縄尚学(九州地区)も初の決勝進出。優勝校の地区には、来春センバツの「神宮枠」が与えられる。

 目いっぱいの思いを込めて、左腕を振った。173センチ、55キロと細身の藤田が、コースを丹念につく。これが公式戦初登板。1回に1点、2回にも1点を失うなど8安打を浴びたが崩れない。「初めての登板でこれだけできて良かった。100点満点です」と笑った。7回3失点でコールド勝ちを呼び込み、新潟県勢初の決勝進出に導いた。

 福島・郡山市出身。東日本大震災が起きた11年は、同市の富田中に通っていた。福島第1原発からは約60キロの距離。外出時間は限られ、練習時間は1日最大3時間、試合は1日1試合までだった。「体のことや、甲状腺のこととかがあるので、自分の体を守るためでした」。両親、弟とともに親戚のいる新潟に自主避難したのは、中学3年の9月だった。

 仲間と離れ、内野中(新潟)に転校。09年夏の甲子園で準優勝した日本文理に進学した。昨年8月の暑いお盆の時期、両親、弟は郡山市の自宅に戻った。最後の家族会議で「ここに残りたい」と伝えた。寮生活を送り、1人甲子園を目指す覚悟を決めた。

 大井道夫監督(72)は「まじめな子でね。うちに来てね、何か思い出つくってやりたかったし、よく頑張ってくれた。逆にオレの方がうれしいよ」と優しく笑った。今秋の県大会はベンチ外で、練習試合でも1度も1軍登板はなかった。新潟の荒れたグラウンドでタイヤを引き、走り込んで下半身をつくった。努力でつかんだデビュー戦で全国初勝利。ここまできたら、チャンスがあれば、今日も目いっぱいの思いを込めて腕を振る。【前田祐輔】