<マリナーズ0-8レイズ>◇29日(日本時間30日)◇セーフコフィールド

 衝撃の余波は続いた。ロッテ、阪神、ヤンキースなどで活躍し、米ロサンゼルス郊外の自宅で首つり自殺をした伊良部秀輝氏(享年42)について、マリナーズ・イチロー外野手(37)が思い出を口にした。90年代に記録した当時の日本人最速の158キロを「物差し」と表現。日米を巻き込んだ三角トレードで伊良部氏がメジャー移籍をしたことがきっかけで制度化されたポスティングシステム(入札制度)。その制度を行使した日本人第1号という縁もある。先輩に、哀悼の意を表した。

 クラブハウスのいすに座ったイチローが、言葉を選びながら語り出した。球団ワーストの17連敗、自身の打撃も乗り切れない。こんな状況でも、かつての好敵手への思いを問われると、「ただ、ただ、残念です」と、静かな口調で切り出した。これまで多くを語ることのなかった「野球人・伊良部秀輝」へ、手向けの言葉とするかのように、言葉を続けた。

 イチロー

 こっちに来て球の速いピッチャーはたくさんいますけど、比較する時に必ず頭に浮かぶのが伊良部さんの真っすぐだったというのはありますよね。伊良部さんの一番速い球っていうのが大リーグで10年以上やっても、物差しになる。それはずっと変わってないことですね。

 剛腕クレメンスら、これまで対峙(たいじ)した数々の速球も、基準は「伊良部ありき」だったことを明かした。日米で通算51度、打席に立った。打った、抑えられたではない、2人にしか分からない「空気」があった。海を渡り、前人未到の10年連続200本安打を達成した。もちろん卓越した技術があるからこそだが、160キロ超のスピードへの対応も、日本時代に伊良部氏と対戦していたからこそ、だった。

 心を引き裂かれた、衝撃的な言葉も思い出した。まさに無手勝流の勝負を打席で意識させられたのも伊良部氏だった。

 イチロー

 95、96年のオールスターで話をした時に、「バッターを殺したいぐらい憎い」って言うんですよね。「頭に当てようが何しようが俺は抑えたい」っていうことを聞いた時に、ちょっと恐ろしい人だな、と思いましたけど、それぐらい、勝負に対する思いが大きかった人でしょうね。あの言葉は一生忘れないですね。

 一方で、「人間・伊良部秀輝」とのほほえましいエピソードも披露した。伊良部氏が02年にレンジャーズに移籍した4月。当時チームメートだった長谷川滋利氏(現野球評論家)と3人で出かけたダラスの焼き肉店。伊良部氏が明け方近くまで自身の投球論を繰り広げたという。「投球、ピッチングフォームについての力説が始まって、野球についての考え方も含めて、止まんなくなっちゃったんですよね。でも、僕ら早く帰りたいからどうやって帰ろうか、長谷川さんと相談してたぐらい野球が大好きだったんでしょうね。あの時はあきれ返りましたけど、そういう熱い、ゲームに対する思いをもった人だったですよね」と、懐かしそうに振り返った。

 09年ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)決勝戦。ドジャースタジアムのネット裏で応援していた姿を見たのが、最後だった。自らは無安打でチームも大敗。好勝負を繰り広げたライバルの死に、思い出が走馬灯のように駆け巡った。【シアトル(米ワシントン州)=木崎英夫通信員】

 ◆02年のイチロー対伊良部

 日本ではイチローが「あんなすごいボールばかり打っていたら体がおかしくなる」、伊良部が「あいつはどうしようもない。こうやって打ち取ろうという組み立てで最後に行くまでに、打たれる。悔しい」などと互いを評価していた対戦。大リーグでは伊良部がレンジャーズに在籍した02年4月13日、6年ぶりに再会した。結果は右安、三ゴ、遊ゴ。伊良部との対戦をイチローは「そりゃあ特別。一番刺激のある相手」。149キロの内角直球を右前に打たれた伊良部は「いいボールだった。想像していたよりイメージは変わっていない。イチロー君が高い技術を持った打者だということはみんなが知っている」。2人は1週間後の20日にも対戦し、146キロの高速フォークを打って投ゴロだった。