黒田博樹投手(40)の広島復帰は、いかにしてなしえたのか。メジャーに送り出した後も絆をつむいできた広島球団幹部、鈴木清明球団本部長(61)の「おとこ気」交渉を追い、復帰の経緯を振り返る。

 また、祈りが通じた。広島鈴木球団本部長は開口一番「ヘロヘロになってしもうた。風邪がぶり返したよ」と笑った。開幕戦は赤の勝負ネクタイで敗れたため、青のネクタイを締めて出社した。黒田復帰初勝利に沸くマツダスタジアム。英雄の復帰に尽力した男の表情は柔らかい。ドアを閉め、静かに車に乗り込んだ。祈りが通じた、あの瞬間を思い出しながら。

 2014年12月26日、午前10時11分。鈴木本部長の携帯電話が鳴った。「黒田アメリカ携帯」。画面に映った文字を見つめ、努めて冷静に電話を取った。声の主のトーンは暗い。悩んだんだろう。ダメか-。そう思った時、黒田が言った。

 「帰りますよ」

 突然だった。家族のいる米国にだと思った。普通に、聞き返していた。

 「どこへや? ドジャースか?」

 「広島です」

 ここでようやく事を理解した。信じてやまなかったはずの男が、信じられなかった。松田オーナーのもとに報告に走る。ガラにもなくOKサインを出した。オーナーが手にしていた野菜ジュースのパックからは中身がこぼれた。その後の記憶はあいまいだ。覚えているのは「ありがとう」と伝えたことだけである。

 交渉は黒田がメジャーに移籍した3年後から始まった。広島を出た07年オフ、鈴木本部長は黒田に伝えていた。「ボロボロでも困るし、バリバリでも帰ってこいとは言えない」。タイミングなど分からない。だからこそ、毎年、話を聞いた。オフに広島に戻る日には必ず顔を合わせた。先の見えない“戦い”だった。

 毎年毎年、断られた。そこにはうれしい心境もまた、同居していた。粘り強く交渉しながらも「どうしても帰ってきてほしい、という感じではなかった」。もう1年メジャーでやる。その報告もまた、送り出した「親心」としてはうれしかった。

 ただ、今回は例外だった。「今年は引退とメジャーと復帰で、40、30、30(%)と言われていた。もう1年やって6勝とかならやめると思った。性格的に、ダメだったから帰りますはない」

 今回の交渉は報道陣にも一切明かさなかった。アプローチしていることさえも、公言しなかった。わずかな誠意も、足しになれと思っていた。気持ちが揺らぐ黒田に真剣に思いを伝えることが申し訳なく感じたこともあった。黒田から聞かれたことがある。

 「鈴木さんだったらどうしますか?」

 「俺ならメジャーだな」

 球団と選手ではない。人と人だった。メジャーに残留していれば20億円近い年俸が保証される。広島は球団最高年俸とはいえ4億円だ。だが、諸条件の壁を越える関係があった。だからこそ黒田の心も動かせた。だが鈴木本部長は最後まで言う。「俺との関係はわずかなものよ。みんなが、ファンが彼の心を動かしてくれた」。12月26日の着信履歴を残すため、携帯電話を機種変更した。大事に保管するそのときの機種は、節目で持ち出すお守りなのかもしれない。広島だから、鈴木本部長だからこそなし得た「歴史的行事」だった。

 「チームもいいスタートを切れたね」。そう言い残し、鈴木本部長は車を発進させた。明日からまた、黒子に戻る。【取材・構成=池本泰尚】

 ◆鈴木清明(すずき・きよあき)1954年(昭29)3月6日、広島・呉市生まれ。慶大から77年に東洋工業(現マツダ)に入社し、83年に球団に出向。02年から現職の球団本部長に就任。