阪神の来季2軍監督に就任する掛布雅之球団本部付育成&打撃コーディネーター(DC=60)が現役時代の背番号31を背負うことが26日、分かった。近日中に発表される。ミスタータイガースのトレードマークだった「31」が、現役引退した88年以来、27年ぶりに復活する。兵庫・西宮市内の球団事務所を訪れて正式に契約し、金本新監督と意見交換した。

 栄光の「31」が帰ってくる。金本新監督と最強タッグを組む、新任の掛布2軍監督が現役時代の背番号31をつけることが判明した。88年に33歳の若さで現役を退いてから、27年ぶりの復活だ。ミスタータイガースの代名詞として全国のファンに親しまれたナンバーをグラウンドで披露する。

 掛布新2軍監督のタテジマへの愛着は人一倍強い。13年にDCとして現場復帰してから、鳴尾浜など球場でユニホーム姿を見せたことは1度もない。ズボンこそタテジマだが上半身は球団ウエアなどを着込むルックが定着。2軍監督就任が分かった21日にはフェニックス・リーグを指導する宮崎県内で「なんだか想像できないね…」と話し、背番号31について「いろいろな人に言われるけど、俺はそんなこだわりは、ないんだよ」と笑顔を見せていた。

 掛布氏の引退後は4選手が着用。13年の林威助を最後に空き番号になっている。来年、掛布監督が再び背負い、虎党のノスタルジーをくすぐるのは必至だが、いずれは甲子園でアーチを量産する大砲に「奪われる」のが本望だろう。

 この日は球団事務所で正式契約。金本新監督とも約10分間、意見交換し、阪神再建の思いをともにした。2年間、2軍を中心に指導した経験から、即席の“会見”でさっそくアイデアも披露。「勝ちにいくゲームなのか選手に任せるゲームなのかは、はっきりした形で区別しないと選手の迷いになる。勝つゲームと育てるゲームみたいなね」。さまざまな立場の選手が入り交じる2軍だけに、チーム力の底上げを前提としつつ、テーマを持って試合に臨む“二刀流”のプランを練る。

 一環として、ユニホームの「クラシックスタイル」を廃止する。「着方は自由にする。(金本)監督も『それは僕も好きじゃないんで自由にさせていいですよ』と」。阪神2軍選手は13年春季キャンプから、膝下からストッキングをのぞかせるスタイルを義務づけられていた。この日、新2軍監督は南社長、金本監督に義務づけ廃止を伝えて了承された。真剣に野球に取り組んでくれれば、着こなしは問わない。自立したプロ集団への成長を促す。

 満を持しての要職就任。そして「31」の復活。猛虎のプライドを背負い、大改革の土台を作る。

 ◆掛布雅之(かけふ・まさゆき)1955年(昭30)5月9日、千葉県出身。習志野2年夏に甲子園出場。73年ドラフト6位で阪神入団。75年に三塁のポジションを獲得。85年には、バース、岡田とともに中軸を形成し日本一の立役者に。その後は故障に苦しみ、88年に33歳で引退。本塁打王3度、打点王1度、ベストナイン7度、ゴールデングラブ賞6度。現役時代は175センチ、77キロ。右投げ左打ち。<現役と同じ背番号の監督>

阪神では89年村山監督が現役時代と同じ11番をつけた。この日、高橋由伸新監督が現役時代と同じ24番をつけることが決まった巨人では川上、王、長嶋がおり、川上監督は1年目の61年から64年まで16番(65年から77番)をつけ、王監督は84~88年に1番、長嶋監督は00、01年に3番で指揮した。他球団では70~72年稲尾監督(西鉄=24番)73~78、90、91年金田監督(ロッテ=34番)78、79年広瀬監督(南海=12番)88、01~05年山本監督(広島=8番)ら。