楽天の星野仙一球団副会長が4日午前5時25分に死去した。70歳だった。中日で投手コーチを務めた山田久志氏がコメントを寄せた。

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 星野さんの訃報に落ち込んでいる。我々は団塊の世代を生きてきた同志で、人として、監督として、男として付き合ってきた間柄だけに、哀悼の念を禁じ得ない。

 私は1999年に巨人長嶋監督からコーチ就任を要請された。ちょうど家内の体調が芳しくなかったこともあって、丁重にお断りをした。その直後のことだ。

 NHK「サンデースポーツ」に生出演後、ホテルに戻る車中に、ロサンゼルスに滞在していた中日監督の星野さんから「ヤマに折り入って話があるんや」と電話が入った。それが投手コーチの打診だった。

 私としては長嶋さんのお誘いを断ったくらいだから引き受けるわけにはいかない。でも星野さんは緊急帰国し、私の元に足を運んで「中日を強くしたい。お前の力を貸してくれ」と訴えられた。

 そして、みるみるうちに目が充血してきて、涙をためながら「俺が今からミスターのところに行って説明してくる」とまで言うではないか。私はついにその熱意に折れたのだった。

 同じ投手族で、野球理論は血が通っているかのように似ていた。今でも星野さんからは「ピッチャーのことは99%はお前に任せた。でもあとの1%は俺にくれ」と言われたのを覚えている。

 実際、川上憲伸が一本立ち、岩瀬仁紀が球界を代表するストッパーに育ったのは、星野さんが全面的に信頼してくれたからで、土台を築き、リーグ優勝も果たすことができた。

 「闘将」「熱血漢」などと称されるが、ユニホームを着ていないスタッフ、裏方さんらを大事にするなど、心優しい気遣いをみせる情の人。ただただ無念でならない。(日刊スポーツ評論家)