楽天の星野仙一球団副会長が4日午前5時25分に死去した。70歳だった。担当記者が悼む。

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 怒っているか。笑っているか。そんな姿しか知らなかった星野さんがあんなに元気のない声を出すのは聞いたことがなかった。08年の秋にかかってきた電話は「元気か。いつもすまんな」と始まった。

 星野阪神で優勝した03年9月15日の直前、星野さんの母が亡くなっている。ご親族に取材の協力をしてもらっていた縁もあり、それから10年間、命日に花を送っていた。08年も同様だった。電話はその礼の連絡だった。

 「ずっと送ってくれてるんやな。ありがとう…」。そう言うが元気がない。それ以前に、これまでそんな電話などなかったのに急にどうして…と思った。理由はあった。星野さんは落ち込んでいた。

 野球代表監督として臨んだその年の北京五輪で惨敗。星野さんは一部のメディアからバッシングを受けた。メディアの人間とも良好な関係を築き、現役時代、中日、阪神の監督を通じてそんな経験はほとんどなかっただけに相当、ショックな様子だった。

 「ボロボロや。仕方ないけどな。でもな。これで終わりたくはないな」。そう言って電話を切った。楽天監督として自身初の日本一監督になったとき、その日を思い出して祝福の電話を鳴らしたら、マッサージを受けている途中に「おお!」と出てくれた。

 03年の阪神キャップ時代は、ともに妻に先立たれるという経験があることで気に掛けてもらった。優勝原稿のため星野さんが妻だけでなく、初孫も失っているという秘話を書くための断りを入れた。しばらく考えた星野さんは「ホンマのことやないか。書けよ」とひと言だけ口にした。

 その後、芦屋の喫茶店で2人で泣いた。「オレはもういいけど、お前は若いし、再婚すりゃええやないか。祝いに時計でも何でもやるぞ」。そう言ってもらったけれど困った。

 本当に逝ったのか。星野さん。あちらの世でスマホが鳴るなら聞いてみたい。奥様には会えましたか。(03年阪神担当・高原寿夫)