ロッテ小野晋吾投手(38)が20日、QVCマリンで引退会見を行った。-引退を決めて

 小野

 チームの非常に重要な時期にこういう発表をするのはどうかと思ったんですが、今季限りでユニホームを脱ぐという決断をしましたのでご報告させていただきます。まだ戦力になりたいと思って今もやっていますし、シーズンが終わるまでチームの一員として最後までやり遂げたいと思います。-決断した理由は

 小野

 まずここまでチームの戦力になれていないということ。ロッテの背番号29を背負わせてもらっているのに、プレーできていないことに責任を感じていました。20年以上、肩の痛みというか、肩づくりの面で毎年すごく時間がかかってましたし、来年この状態でできるのかと考えた時にしんどいところはありました。-決めたのはいつ

 小野

 上のチームが苦しい時、ファームの試合で、ここをしっかり投げられれば上でも貢献できるんじゃないかという試合が7月にあったんです。そこで初回に9失点して。今まではそういう試合で結果を残せていたのに、これが今の力なのかなという感じがしました。-背番号29について

 小野

 つけた当初は、本当に大変な番号を背負ってしまったなと思って。これは1軍にいないといけない背番号だと思うんです。それがここまで1軍にいないというのは、そういうことなのかなと思いましたし、引退を決める1つの要因になりました。-ロッテ一筋20年

 小野

 ここまでプロ野球選手としてやれると思ってませんでしたし、誇りに思っていいのかなと思います。2度の日本一を経験することができましたし、特に05年の(プレーオフで)優勝を決めた福岡ドームの試合。あれ以上の喜びはまだ感じたことがありません。-一番印象に残る対戦は

 小野

 初勝利した試合(99年、対日本ハム)の初回1死満塁の場面で、ワンスリーから田中幸雄さんに投げた1球です。無我夢中で投げたスライダーで、ボール球だったと思うんですけどゲッツーが取れた。あれが四球にになっていたら初勝利もなかっただろうし、今と全然違っていたと思います。-日曜9連勝で「サンデー晋吾」と呼ばれて

 小野

 日曜日はデーゲームでお客さんも多いですし、そこで名前を覚えてもらえたのがうれしかった。毎試合、野球をやらせてもらえる喜びを感じて投げていました。-ファンに向けて

 小野

 僕がこのチームに入ってから、低迷期というか、弱い時期にも熱い声援をいただいて、優勝を機にそれがもっと大きくなっていって。特にうちのチームはファンのおかげで大きくなったチームだと、20年やってきて感じています。感謝していますし、マリーンズファンの前で投げられたことは自分の誇りです。-家族の支えについて

 小野

 息子と娘がいるんですけど、その2人が、僕が野球をしている姿が分かるまではやりたいと思っていました。もう中1と小4で、十分分かる年です。特に娘が、僕より詳しいんじゃないかと思うくらい野球が大好きで、ファームにいる間も毎晩一緒に野球を見ながら、野球の話ができたことがうれしかった。本当に、家族に支えられてきました。-20年間を振り返って

 小野

 プロに入る時、自信がないからと言ってプロ入りを拒否したことがありまして。スカウトの方に、自信はプロでつけられると言われて決断したんですが、3~4年目までは本当に1軍でやれるなんて思っていなかった。練習で追い込むことで自分を信じられるようになった。ここまでやってこられて、悔いはありません。-誇れるものは

 小野

 速い球を投げるとか、特別特徴のある投手ではありませんでしたけど、けん制であったり、9番目の野手としてのフィールディングであったり、投手としての総合力は皆さんに見てもらえたのではと思います。-今後について

 小野

 まだシーズンも終わってませんし、とにかく今はまだ、チームに貢献したいという気持ちしかないです。シーズンが終わってから、考えればいいと思っています。