「悲運の名将」西本氏の“遺言”は佑ちゃんを何とかしろ-。阪急、近鉄などで監督を務め25日に心不全のため91歳で死去した西本幸雄氏の葬儀・告別式が29日、兵庫・西宮市の斎場で営まれた。球界関係者など約650人が参列し最後の別れをした。弔辞を読んだ前日本ハム監督の梨田昌孝氏(58)は開幕直前に電話で斎藤佑樹投手(23)と中田翔外野手(22)を指導しろと激励されたエピソードを明かした。

 祭壇でやさしくほほ笑む西本氏の遺影に梨田氏が語りかけた。弔辞を読む声は震え、こらえる涙がこぼれそうになった。野球に情熱を傾けた「悲運の名将」は最後までグラウンドに立っているかのような熱を放っていた。開幕前日の4月11日のこと。電話口で叱咤(しった)されたその言葉を、西本氏の口調をまねるように再現した。

 「おいナシ、ええかよく聞けよ。斎藤佑樹、あいつの投げ方はあかん。左足がつっぱっとる。右腕が棒のようにつっぱっとるやないか。阪神の能見のように腕をしならせて投げるよう、指導せい」

 第一線を離れて何年にもなる恩師の言葉に梨田氏ははっとした。衰えない野球への情熱とまなざしに感服した。電話を切ろうとすると「待て、中田翔のバッティングや」と続いた。90歳のアドバイスは、30分に及んだという。

 近鉄に入団して3年目の74年に、西本監督が阪急から移ってきた。「お前らがいたから近鉄に来たんや」と声をかけられ「3年で1000万円プレーヤーにする」と約束された。厳しい指導のもと、それは現実となった。79、80年とリーグ優勝に導いてくれた。

 「手を抜くと殴られも蹴られもした。でもその手先から愛情やぬくもりを感じた」。不思議と憎めなかった鉄拳制裁や、球が見えないほどの雪が舞う中で打撃練習を完遂したこと。野球選手として妥協なく鍛えられた。監督の先輩として数多くの助言をもらった。

 「100歳まで、1年でも長く、プロ野球界のために長生きしてほしかった。19日も日本シリーズをごらんになったようでね、今でも評論家ができる感じだった」

 10月22日に宝塚市内の自宅を見舞ったのが最後だった。11月19日の日本シリーズ初戦を自宅でテレビ観戦する西本氏の映像が、告別式でも流れた。「悲運の名将」の“遺言”は梨田氏の胸に深く残っていた。

 ◆主な参列者(順不同、敬称略)

 吉田義男、一枝修平、中村勝広、上田利治、若生智男、梨田昌孝、福本豊、有田修三、加藤英司、長池徳士、小川亨、羽田耕一、栗橋茂、藤瀬史朗、吹石徳一、村田辰美、佐々木恭介、住友平、足立光宏、江本孟紀、太田幸司、亀山つとむ、久保康生、藪恵壹、星野伸之、小川博文、森脇浩司