<ヤクルト6-12広島>◇12日◇神宮

 49年ぶりの記録更新はお預けとなった。11日にプロ野球記録の55本塁打に並んだヤクルトのウラディミール・バレンティン外野手(29)は、3打数1安打1四球に終わり、4戦連発での56号はならなかった。この日来日した母アストリットさん(65)が観戦する中で力みもあったが、最終打席は打席内で打撃を修正して中前打を放った。チームは3連敗で笑顔はなかったが、自身の好調はキープ。今日13日からの阪神3連戦(神宮)で記録達成に挑戦する。

 56号を打とうと、バレンティンは力が入りまくっていた。カウント2ボール1ストライクからマン振りで空振りした3回2死二塁の第2打席をはじめ、フルスイングが目立った。8回の第4打席こそ2ストライクからすり足にして中前打を放ったが、見せ場はここまでだった。

 代走を送られると、歴史が変わる瞬間を期待していた観客から大きなため息が漏れた。チームも大敗し、笑顔はなかった。「負けるのがいちばん嫌。長いシーズンなので打てない日もある」と淡々と振り返った。

 力んでしまうのも無理はなかった。この日午前、オランダ・アムステルダムから母アストリットさんが来日した。午前7時に起床し、成田空港まで出迎えに行った。昨年12月以来の再会。11日にプロ野球記録の55号を放った時、母は機上の人だった。「何で待ってくれなかったの?

 今日打てばいいのに」と、冗談で怒ったそぶりを見せた姿にうれしくなった。

 そんな母が、球場で見守っていた。試合を見に来てもらうのは、米国マイナー時代の10年以来だ。「今日はとにかく1本打ちたい」と意気込んでいたが、睡眠時間はたったの3時間半。55号の祝福メールをチェックし、寝たのは午前3時半だった。もろもろの疲労からか、この日はノーアーチに終わった。

 それでも「56」への意欲は増すばかりだ。敵味方関係なく声援を浴び「こういう状況はなかなかない。野球の新しいジェネレーション。今までの歴史を超えて新しい時代が来ることを期待しているように感じる」と振り返った。1964年、王貞治(巨人)が初めて55号に達した。過去3人が生んだ歴史に敬意を表しつつ、49年ぶりの記録更新に向けた思いをつむいだ。

 「55号を打ってホッとしたので、あとの試合で1本打てればいい」と気持ちを切り替えた。55本で満足することはない。大好きな神宮で、母の前で、今日こそ決める。【浜本卓也】