元巨人監督で日刊スポーツ評論家の川上哲治(かわかみ・てつはる)氏が、28日午後4時58分、老衰のため、東京・稲城市の病院で死去した。93歳だった。

 V9時代をともにしたソフトバンク王貞治球団会長(73)は「勝負に徹した方。プロとしての意識をたたきこまれ、僕の野球理論、考え方は川上さんの影響が強かった」としのんだ。

 巨人現役時代。宿舎で選手全員が集められ、浴衣の帯で脇を縛ってバットを振った。「脇が甘いってね。長嶋さんもやっていた。こうと思ったらやる方でした」。王会長は川上監督の下で代名詞の1本足打法を磨いた。その道程が一番の思い出だという。「もっと確実性を増したら3冠王に近づける」と言われ、入団6年目にあたる64年はオープン戦まで“2本足”。「でも自分は1本足しかないと思いを強めた。川上さんにすすめられてもできません、とはっきり言いました」。自分を確立し、この年55本塁打を放った。

 監督像も学んだ。「勝つために何がいいか常に考え、決断された。僕も長嶋さんも送りバントをしましたね」。活発なトレードで毎年のようにONの後を打つ5番打者が入れ替わった。「V9を、皆さん戦力が十分あったからと言いますが、9年連続で勝てたのは川上さんの勝利に対する執念が生み出した記録で、これからも破られないでしょう」。その監督としてのスタイルを「お手本でした」と目を細め、「楽天の星野君もその影響を受けているんじゃないかと思います」。

 プライベートの思い出も尽きない。甲子園での試合が雨天中止になり、兵庫・芦屋市内の宿舎から車で連れられた先は京都・祇園。「川上という日本料理屋ですごい顔で、その後、一力というお茶屋さんにも『よぉ』って入って行かれ、ここでも顔。『旦那さん、旦那さん』と呼ばれていた。こんなに驚かされたことはなかった」。公私とも深く結びついた2人が最後に会ったのは数年前で、この日午後に訃報に接した。「天寿を全うされたでしょう。関わった方、皆さんと一緒にご冥福を祈りたいです」と大きな目は伏し目がちだった。【押谷謙爾】