ミスタープロレス天龍源一郎(65)が、両国国技館で行われた引退試合で、40年のレスラー生活に別れを告げた。天龍は、新日本のIWGPヘビー級王者オカダ・カズチカ(28)とシングル戦で対決。37歳差の現役最強王者に驚異の粘りを見せたが、17分27秒、レインメーカー(短距離式ラリアット)に沈んだ。現役時代を貫いた天龍革命に終止符を打ち、今後はタレントとして活動する。

 目を開けると国技館の天井がまぶしかった。オカダのレインメーカーで、天龍は一瞬、気を失っていた。格闘生活最後のリングで、燃え尽きた。試合後、マイクをつかむと思わず「いやあ、負けたあ」と言葉が出た。インタビューでも第一声は「悔しいです」。レスラー人生は終わっても、胸にはまだ反骨の炎がくすぶっていた。

 65歳の老レスラーにとって、異例ずくめの引退試合だった。相手は、現役最強のオカダ、しかもシングル戦だった。ファンの間では無謀の声も多かったが、本気だった。もともと、オカダが2年連続プロレス大賞MVPの受賞会場で、同じ2年連続受賞の天龍を「時代が違う」とけなしたのが始まりといわれている。しかし、そんなささいな理由ではなく、天龍の反骨精神が、オカダを求めた。

 「彼と戦って、プロレスは進化していると思う。彼は1歩1歩、新しいプロレスをオレに体験させてくれた」と試合後、晴れ晴れとした表情で話した。オカダのドロップキックを時には顔面に受け、何度もマットにはいつくばりながら、グーパンチ、逆水平チョップ、頭突きで反撃。やられても、必死の形相で立ち上がり、技を受けた。それこそが真骨頂。反骨の昭和のプロレスだった。

 角界から将来性を買われて全日本プロレス入り。しかし、エリート、ジャンボ鶴田の後塵(こうじん)を拝し続けた。その鶴田にかみつき、仲間と天龍同盟を結成して、痛みの伝わる武骨なファイトで、名を上げていった。全日本退団後は、大きな団体に所属することなく、あらゆる団体で多くのレスラーと戦い、65歳になるまで、ほとんど常にメーンで戦ってきた。

 2月の引退発表から、最終戦が21試合目。自団体の興行のほか、地方の小さな団体でも引退ロードとして試合をこなしてきた。まさにミスタープロレスと呼ばれるゆえんだ。「引退が決まって21戦。私は、すべてがベストバウトだと思っている」と娘で、団体代表の嶋田紋奈さん(32)は話した。最後の試合、天龍はデビュー当時の青いガウンと、「反骨といじけの象徴」と自ら説明した黒のパンツ、黄色のリングシューズのコスチュームで試合に臨んだ。10カウントを聞いて長い戦いは終わった。だが、龍魂はリングに置いていった。【桝田朗】

 ◆天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)本名・嶋田源一郎。1950年(昭25)2月2日生まれ、福井県勝山市出身。大鵬に誘われ、63年12月に大相撲の二所ノ関部屋に入門。天龍のしこ名で前頭筆頭まで務めたが、76年秋場所限りで引退し、同年10月に全日本プロレス入団。同11月にデビュー。天龍革命で団体の活性化を図り、89年6月にジャンボ鶴田を破り3冠ヘビー級王者。90年SWS移籍から92年WAR設立、フリー、WJプロレス、天龍プロジェクトとあらゆるマットで活躍した。今年2月に11月限りでの引退を発表。得意技はグーパンチ、パワーボム。189センチ、120キロ。家族は妻まき代さん、長女紋奈(あやな)さん。