大相撲の元大関貴ノ浪で幕内優勝2回を記録した音羽山親方(本名・浪岡貞博)が急死した。20日午前、急性心不全のために大阪市内のホテルで倒れ、搬送中に亡くなった。43歳だった。

 音羽山親方は初場所まで記者クラブ担当だった。初日に場所へ行くと、たばこを吸いながらこっそり展望を聞く。これがお決まりになった。ほとんど「優勝は白鵬」だったが、時には「今場所は難しい。流れ次第」。中盤で「この2日間が勝負で●○」と言い、「昇進あるかも」とも。ほとんど予想通りになった。

 若貴のいた堅い部屋で「スポークスマン」を自任し、引退しても表も裏も事情通だった。「なんでそんなこと知ってるの!」と1度だけびっくりされた。数時間後に「あれはなくなりました」と言われた。

 物おじしない性格で、NHKの解説でもズバリと弱みを指摘する辛口だった。学生相撲上がりで甘い親方が増える中で、たたき上げ大関の歯に衣(きぬ)着せぬ発言は魅力があった。現役時代に土俵下から物言いをつけたのが最たる例だろう。

 頭の回転のいい、面白い親方だった。近い将来の貴乃花理事長誕生時には、参謀になったのは間違いない。NFLとか洋ものも好きで、記者が経験者と知ると質問で挑んできた。「1度じっくり飲もう」と言っていたのに。角界にとって貴重な人材が、あまりにも早く逝ってしまった。【河合香】