<最新作「アキレスと亀」公開初日インタビュー>

 北野武監督(61)の最新作「アキレスと亀」が20日、公開初日を迎えた。画家として成功をつかめなかった男と、その妻の姿を描きながら「幸せとは」を静かに問いかける感動作。難解で破壊的といわれた最近の作品とはうって変わり、「王道を意識した」という新しいキタノワールドをみせている。「心境の変化」と「幸せ」について、北野監督に聞いた。

 北野監督はここ数年、自作について「どうせ客が来ないから」と自暴自棄に語ることが多かった。だが、「アキレスと亀」について語る顔はすこぶる明るい。「あまり偉そうに言いたくないけど」と切り出し「もう1回お客さんに近づいてみようと思ったんだ」。

 欧州の評価は揺るぎないものの、05年「TAKESHIS’」は難解と言われ、昨年の「監督・ばんざい」は興行不振に終わった。「斬新なことをやっているといくら言っても、客が付いてこなければ、まるで売れない芸人。客を引っ張り直そうと思った。また付いてきたら、徐々に逃げようかって思ってる」と笑った。

 意識したのは「王道」。撮影前、黒沢明監督ら巨匠の名作を見た。「助監督とかやってないから王道の映画作りを知らないんだ。監督を始めた時、なめられちゃいけないと思って、王道をなぞることをしなかった。吉兆とか老舗の料亭で修業せず、勝手に創作料理を始めて、意外に評価されちゃって、その気になったら『あれ、おれの味を分かってくれないな』となっていた」。

 最近は構成で独自性を打ち出すなど映画の常識破りに専心する印象が強かった。だから、新作は主人公の半生を順を追って丁寧に描いた。「料理で言えば、あれこれぶっかけちゃえば、ダシなんか分かりゃしねえし、そもそも材料が何か分からないだろというようなことを平気でやってきた。今度はシイタケや昆布、かつおぶしでちゃんとダシをとった感じかな」。

 「アキレスと亀」の主人公は世間の評価や成功を得ることもないまま創作を続ける画家。心から打ち込める芸術に出合い喜びを感じている。映画は「幸せの意味」を問いかける。

 「今はタレントとしてお金もらって、それなりに家や車もある生活をしてるけど、実際は知らないという前提で話せば、幸せな人生って何だと考えると、学者になって研究室で1日過ごし、家に帰って酒を飲んで寝る毎日もいいかなって。現実にはビートたけしとかいってワイワイやってるけど、『いつかはノーベル賞』とか言いながらゲラゲラ笑って研究している生活も幸せかなと考えるね」。

 「漫才師も映画監督も別にやりたかったわけじゃない」。学生時代はエンジニアにあこがれていた。「今も頭をよぎるよ。寝ながら数学や物理の本を読んでいる時、新しい化学合成で、がんの特効薬とか、とんでもないものが作れないかなとか考えている」。

 少年時代はペンキ職人だった父を反面教師に「幸せ」を考えた。「仕事が終わると行きつけの飲み屋で毎日、同じ酒と煮込みやアジフライみたいな同じつまみを頼む。漆塗りやゲタ作りの職人も集まるから仕事のことや親方の悪口をしゃべるのが楽しくてしょうがない。それ以外のことは望んでない感じ。その後パチンコに行ってスナックに寄って帰ってくる。子どもながらに、父ちゃんのようになりたくないと思ったね」。

 大学中退後、アルバイト生活を経て浅草フランス座のエレベーターボーイをしながら芸人見習いに。「なりたくて漫才師になったやつは幸せだったと思うね。仲間とその世界を楽しめばいいんだから。おれはなりたくってなった覚えはなかった。喜んでいる場合じゃなかった。売れなきゃいけないと思ったんだ。飲み屋に集まりワイワイ騒いで、そのまま浅草で芸人として死ねる幸せも分かるけど、こんな貧乏くさい世界なんて嫌だと思っていたね」。

 幸せをつかむため大人は子どもに「夢を持て」と教える。「誰にでも何か才能があるから、誇れるものを見つけなさい」と励ます。北野監督は「無理やり夢を持たせるのはやめた方がいい」と断言する。「秋葉原の通り魔事件が起きる前から言ってたけど、要するに世の中が普通の人を認めていないんだ」。

 さらに「夢もなく才能もなく金もなきゃ生きてちゃいけないのかって。おれなんか子どものころ、何かやろうとすると『あんたはバカなんだから』『うちは貧乏なんだから』と怒られて終わり。でも何かをやるやつは分をわきまえながらも、どうやってチャンスをつかみ取ろうか考える。放っておいても出てくる。夢を持てなんて強制しちゃダメ。強制するからかなわないとちょっとしたことでキレるんだ」と続けた。

 「人生なんて、やることが見つかるだけで十分幸せなんだよ」。北野監督のつぶやきが「アキレスと亀」の主人公の生きざまに重なった。【松田秀彦】