<映画大賞:石原裕次郎賞>

 明治時代末期の山岳測量隊の苦闘を描いた「劔岳(つるぎだけ)点の記」が、石原裕次郎賞に選ばれた。日本映画界を代表する名カメラマンの木村大作氏(70)が初監督を務め、富山県の劔岳で計200日間の長期ロケを敢行。標高約3000メートルに達する危険な山道を実際に登り、リアリズムを追及したことが高く評価された。「ディア・ドクター」の西川美和監督(35)が作品賞と監督賞、余貴美子(53)が助演女優賞を受賞し、同作品が4冠を飾った。石原裕次郎賞新人賞の該当者はなかった。

 木村監督は撮影中から、石原裕次郎賞の獲得を目標に据えていたという。「この作品は、石原裕次郎賞にピッタリだ。撮影が始まった時には、そんな話が出ていたからね。完成して試写会を見て、『1番取りたいのは石原裕次郎賞だ』って言ってた。それが来ちゃったわけだよ。うれしいね」。これまで「劔岳」も含めて50本の作品を撮り続け、映画大賞の会場には何度も足を運んでいる。スケールの大きな作品が石原裕次郎賞に選ばれていることを、よく知っていたからだ。

 リアリズムを徹底的に追及した。CGを使わず、命綱が必要になる山道を俳優やスタッフと一緒に登り、日本地図完成という使命を果たす明治人の生きざまを描いた。そうやって作り上げた「劔岳」は、裕次郎さんが石原プロという制作プロダクションを立ち上げ、残してきた作品と重なった。「『黒部の太陽』や『富士山頂』、『太平洋ひとりぼっち』とか、みんな本物にこだわった。『映画化なんて、何を考えているんだ』と言われる過酷な作品に、裕次郎さんは挑戦していた。オレもそうだし、オレがやらなきゃ誰がやるんだ」。大自然と向き合い、映画作りに命をかけたという共通点があった。

 06年7月31日に劔岳に初めて登り、企画を立ち上げて以来、873日後の08年12月20日に映画が完成。その間の激闘ぶりが現在、「劔岳

 撮影の記」として全国で公開されている。「映画作りの基本とは何かを考えてもらいたい。ストーリー展開と同じ順撮りで、本物の場所を長期間、困難をいとわずに撮る。昨今の映画界は、CGとかごまかしがOKだからね。若いスタッフとはなじまないかもしれないけど、オレは『なじむ必要はねえ』と思ってるんだよ」。昭和の映画全盛期を生きてきた名カメラマンの同監督は、映画作りにかけた裕次郎さんと同じ“志(こころざし)”を持っている。【柴田寛人】