16日に公開される「の・ようなもの の ようなもの」(杉山泰一監督)は、森田芳光監督(享年61)へのオマージュである。故人の長編デビュー作「の・ようなもの」の35年後を描き、落語界を舞台に、森田さんの持ち味でもあった「からりとした笑いの世界」を受け継いでいる。

 4年前の12月に亡くなった森田さんは、私にとってもっとも取材機会の多い監督だった。この時期に思い出すのは命日が近いというだけでなく、1年間の成果を問う映画賞の季節でもあるからだ。

 多くの監督は照れやプライドから、「賞」への意欲については、さりげなく距離を置いたコメントをする。が、森田さんは明解に口にするほうだった。高校時代に新聞部で映画評を担当していたこともあって、見る側の立場を強く意識していたからだろう。

 話題作を連発していた80年代半ばは、音楽の世界では「賞」を巡る黒いうわさがささやかれた時期でもあった。森田さんは「映画賞もさ、音楽賞みたいに現金が飛び交うような環境にならなきゃいけないね」。冗談には違いないが、音楽賞に比べてもう1つ盛り上がりを欠いていた映画賞への思いが込められていた。

 「まっとうな判断で選ばれた方がうれしいんじゃないですか?」と返すと「青いね。そんなことばっかり言ってるから映画界はいつまでも貧乏臭いんだよ」と笑った。名誉や「勲章」的な意味合いしかない映画賞が、俳優や監督のギャラアップに直結するようになれば活性化につながる、との思いがあったのではないだろうか。

 興行にも敏感だった。「ゴースト・バスターズ」と「グレムリン」というSF娯楽大作が激突した84年の冬。私には、スティーブン・スピルバーグ総指揮で、愛らしいペット「ギズモ」が登場する「グレムリン」の方が圧倒的に優位に思えた。

 が、森田さんはビル・マーレイ、ダン・エイクロイドらが出演、コメディー色の濃い「ゴースト・バスターズ」の方で間違いない、と断言した。

 「いかにも米国色の濃いコメディーはまだまだ、日本では受けませんよ」とややマニアックに思えた内容を指摘すると、「お前は日本のマーケットの成熟度を全然認識出来ていない」と頭ごなしに言われた。

 あんまり腹が立ったので、どちらが興行1位になるか、賭けることにした。結果は「ゴースト-」が動員数1・5倍の大勝。後日、約束のものを渡すと、「何だ。本気だったのか」とすまなそうな顔をしてポケットに入れた。

 興行に自信があったからだろう。鳴り物入りで撮った吉本ばなな原作の「キッチン」(89年)が興行的に失敗すると7年近く沈黙した。その後に撮った「(ハル)」(96年)では「パソコン通信」による男女の出会いを描いた。当時としては画期的な作品であり、今につながる先見性の発露でもあった。が、これは時代に先んじ過ぎた。興行的に数字を残せなかった。

 翌年からは開き直ったように「失楽園」「模倣犯」「阿修羅のごとく」…とベストセラーや人気ドラマの映画化で職人的にヒット作を連発した。

 かねて明かしていた「50代でピークに持っていきたい」を実践するためだったのだろう。「映画界で巨匠と呼ばれるのはみんな60代、70代…80代もいる。それじゃあ、遅すぎるんだよ。体力的にも限界があるから」という思いだった。

 遺作となった「僕達急行A列車で行こう」(12年)は再び原点の趣味の世界に戻った珠玉の小品だった。 「50代で-」の思いが、本人の中でどこまで満たされていたかは、分からない。が、最後の作品には再び「若さ」を感じさせた。次もまたその次も見たかった。意識して自分を「軽く」見せる人だったが、あらためてその「大きさ」を実感している。  【相原斎】