「ちょっと厳しかったかなあ」とさらりと言う。

 今春1カ月余りの間、奈良県東吉野村の山中で行われた映画「東の狼」の撮影を終えた俳優・藤竜也の感想だ。間もなく75歳になるとは思えないほど元気だ、というより若々しい。同い年生まれに三田佳子や石坂浩二がいて、確かにこの世代には年齢を感じさせない人が少なくない。それでも、厳しい撮影環境に平然と身を置くという話は他に聞かない。

 あの高倉健さん(享年83)でさえ、「南極物語」で極地に身を置いたのは52歳の時である。今回の撮影環境は極限とまでは言えないだろうが、藤の泰然とした様子にはやはり感服する。

 日大芸術学部在学中の62年に「望郷の海」でデビュー。76年には大島渚監督のハードコア衝撃作「愛のコリーダ」に出演して妙な形で注目され、さすがに疲れたのだろう。翌年だけは休んだが、その年を除けば半世紀以上にわたって堅実に出演作を重ねてきた。昨年の主演作「龍三と七人の子分たち」(北野武監督)は記憶に新しい。

 「東の狼」が、なら国際映画祭(9月17日から)に出品されることになり、先日、都内で行われた発表会見で藤の話を聞くことができた。

 映画は、100年以上前にロケ地となった東吉野村周辺で絶滅したと言われるニホンオオカミに執着する孤独な猟師の物語だ。老猟師はオオカミの捕獲に取りつかれ、1人森深く踏み込んでいく。

 出身地の奈良にこだわり、住み続けながらカンヌ映画祭グランプリなど、国際的評価を受けてきた河瀬直美監督(47)がプロデュース。キューバ出身の新進、カルロス・M・キンテラ監督(31)がメガホンを取った。

 43歳下の外国人監督。ベテラン俳優にはそれだけでしんどそうだが「僕の年齢になると、年上の監督はほとんどいない。年下の監督の指示に従うのは当たり前のことで抵抗は無かったですねえ」と再びさらりと言う。

 数々の国際映画祭で注目されている気鋭の監督は容赦なかったようだ。「カルロスはジェームス・ディーンみたいな二枚目の優男なんだけど、撮影は奔放というか、グイグイくる。見た目と演出のギャップがすごい。笑って人を殺すようなところがある」と、その厳しい演出ぶりをジョークにくるんで振り返る。

 腹を割くところから始めるシカの解体シーンでは、最初から最後まで1度もカメラを止めなかった。

 「手順は教わっていたんだけど、これが難儀で。いつカットをかけてくれるのか、ずっと待っていたんだけど、とうとう最後までぶっ通しでやらされた。あの時はホントに汗かいた。参りました」と藤は言う。

 1カ月の滞在で、川にさらして行うシカの血抜きなど、地元猟師の作法もすっかりマスターしたそうだ。滞在先の公営住宅には、映画に出演もした地元の人たちが引きも切らずに訪ねてきた。

 河瀬プロデューサーによれば「最初は『藤竜也がいる』という興奮があったらしいですけど、時間がたつにつれて当たり前の隣人のような関係になったようです」。周囲に垣根をもうけない人柄を感じさせる。

 藤は「とにかくシカが多い。よく前庭にファミリーでやってきた」と地元でしか分からないシカの繁殖力も実感したようだ。一方で「一番近いコンビニが10キロくらいのところにあって、何かあの明かりが恋しくて数日に1度は行ってましたねえ」とも。都会恋しさの行動というより、その健脚ぶりに感心する。

 撮影が行われたのはサクラの季節。千本桜で知られる吉野である。

 「宿舎の近くでも5、6本満開になりました。僕には小さな思いがあって、毎年サクラを見て、幸せを感じる。生きてると実感する。今年は吉野でそれを感じられた。それだけで良かったと思います」

 会見の最後にそんな発言があった。今年もサクラが見られたという年配者ならではの思いを聞いて、外見からはうかがうべくもない藤の年齢を、実はそのとき初めて思い出した。【相原斎】