プレーバック日刊スポーツ! 過去の9月11日付紙面を振り返ります。2005年の芸能面(東京版)は脚本家・倉本聡が脚本へのこだわりや富良野で描く夢などを語るでした。

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 脚本家倉本聡(70)。21年間続いた大ヒットドラマ「北の国から」をはじめ、数多くの名作を手掛けてきた。77年に北海道・富良野に移住。俳優養成を目的とした富良野塾も創設するなど、大自然に囲まれた北の大地に根付いた生活を続けている。珍しく京都を舞台に選んだ新作ドラマ「祇園囃子(ばやし)」の放送を控えたカリスマ作家に、脚本家としてのこだわり、ドラマ人気低迷の理由、富良野で描く夢をきいた。

 -ここ数年、テレビドラマ、特に連続ドラマの人気低迷が続いています

 「視聴者はバカだから、という考え方がいつからか始まった。説明し過ぎなんです。そこにだれとだれがいますということを説明するため、10秒ぐらい費やす。そうすると、その前のシーンのセリフがつながってこなくなる。シナリオではつながっているはずが、勝手に入れた描写で切られてしまう。視聴者の想像力を信用していないからです。見る方は、いっぱい想像して楽しみたい。その楽しみを勝手に奪ってしまう」。

 -ほかに問題は

 「必要のないところで、音量の大きい音楽がのべつまくなしに入ってくる。セリフが聞こえなくなる。役者も、何を言っているのか分からなくなる。役者の顔を見ているしかなくなってくる。だからチャーミングでスタイルがいい人ばかりを起用する。ドラマの本質でドラマがつくられていない。そういうことの積み重ねが、つまらなくさせているのではないでしょうか」。

 -スポーツ番組は人気を集めています

 「ドラマの感動が、どうしてスポーツの感動に追いつかないのか。それは結局、つくり手の流す汗と涙の量がスポーツに負けているんでしょう。変な方向に気遣いして汗を流しているだけなんでしょう、きっと」。

 -最近面白かったドラマは

 「見なくなりました。見ようとすると、何だか汚れてしまうような気がするんです。嫌な気分になる。公共の電波を使って、何でこんなものをつくっているのかと怒りがこみ上げてくる。お客をなめるなよって」。

 -富良野での生活も28年が過ぎました。「北の国から」に代表される倉本さんが、今回は京都を舞台にドラマを書きました

 「お袋の故郷でもあって、いつか書きたいと思っていました。それに年中、遊びに来ていますから。祇園でも相当お金を使っています(笑い)。富良野以外では、東京にいる時間よりも、京都の方が長いくらい。空気も好きです。北海道の次に書きたいのは京都でした」。

 -生まれは東京。故郷という意識は

 「もう故郷は富良野ですね。うちは代々、多摩墓地に墓があるんですが、兄に『お前もあそこに入るんだから』と言われた時『おれは入らないな』と答えました。もう富良野に墓をつくろうと思ってます」。

 -東京は恋しくないのですか

 「杉並の善福寺というところで育ちました。昔は森に囲まれた池があって、そのふちに住んでました。森は切られ、家がいっぱい建ちました。去年、30年ぶりに訪ねる機会がありましたが、すっかり変わってました。少し寂しくなりましたね」。

 -最近の富良野での過ごし方は

 「去年、西武の堤義明さんから、近くのつぶれたゴルフ場について相談を受けまして。森に帰したらどうかと言ったら、意外や、いいねと言ってくれまして(笑い)。今は富良野塾の塾生やOBたちと一緒に木を植えています。今年中に3000本植えます。今の時期は、種が木から落ちますから、ネットを張って種取りです。午前中は種取りと植林、午後は芝居のけいこ。これで結構忙しいんです。最終的に15万本ほど植えようと思ってます。そのころ僕はこの世にいないでしょうけど(笑い)」。

 -なぜ植林を

 「水や空気は、葉っぱがきれいにしてくれるのです。だから葉っぱを増やしたい。シナリオや芝居づくりもやりますが、これからは植樹活動がメーンになってくると思います」。

 -シナリオはどんな時間に書きますか

 「夜は書きません。夜はひたすら飲みますから(笑い)。前半が焼酎、後半はウイスキー。シナリオは夕方の2~3時間。毎日、何かを書くようにしています。書き続けないと力が落ちると思っていますから。1日に1時間でも机に向かうようにしています」。

 -ワープロやパソコンは使わず、すべて手書きだとか

 「こだわっているわけではありません。使えないだけです(笑い)。どうせあと何十年かの命。このままいこうと。それに僕は書くのがとても速いんです。不自由は感じませんね」。

 -手書きの良さは

 「感情が強いセリフを書くと筆圧も強くなる。スピードも速くなる。そういう時に言霊(ことだま)が埋め込まれていくような気がしますね」。

 -シナリオを書く上でのこだわりは

 「テレビが誕生したころ『ながら族』のものと言われました。ドラマも台所で食事をつくりながら見ても分かるようなものを書けと言われた。だから橋田寿賀子さん、平岩弓枝さんはそういう書き方をした。どこから見始めても分かる。僕は抵抗しました。向田邦子さん、山田太一さんもそうでした。ながら族の手を止めさせたい。台所で煮物は焦げ付いてよろしいと。集中して見てもらえるものをつくりたい。それは今も変わりません」。

 -ほかにもこだわりが

 「僕は俳優の座付き作家の感覚を持ってます。この役者だったら、どういうセリフを言うのだろうと考えながら書く。だから写真を机に置いて書くこともある。渡哲也だったらこう言うな、高倉健だったらここで何も言わないなとか。その人が演じてヒットしたキャラクターをベースにするのではなく、僕との関係の中で自分が感じたものをベースにします。健さんだったら実は喜劇的な人でもあるので、おかしみを入れたり。渡だったら、懐かしい倫理観を持つ男だとかね。僕はあなたのことをこう感じていますという、その役者に宛てたラブレターなんです」。

 -倉本脚本は、現場で一言一句変えてはいけないと言われているとか

 「そんなことはないですよ(笑い)。役をきちんとつかんでいれば、言葉を変えることに抵抗はありません。ただ語尾を勝手に変えることに抵抗は感じます。語尾1つで、あいまいか、断定か変わってくる。語尾によって微妙な心情を表現しているわけです。質の悪い役者にかかると、意味は通じるからと、語尾はどうでもいいだろうとなる。それがあまりに多かったので、一言一句変えないでという言い方をしたことがありました。だから、そういう“伝説”がつくられたんでしょう(笑い)。だから僕のところにシナリオの依頼がこなくなった(笑い)。やりにくいと思われているでしょうね。頭ごなしに怒るイメージとか。でも実際は、逆に気を使って、何も言わなかったりするんだけど(笑い)」。

 -シナリオライターの楽しさは

 「何もないところからつくり始めることかな。役者や演出家は脚本があって、そこから始めるけど、僕らはゼロから起こし始める。そこの楽しみじゃないかな。僕は、人生の価値を、どれだけ金を稼いだとか、どれほど蓄えたとか、そういうことに置いていない。感動や笑いで、どれほどの量の涙を流させたか、その涙の量で自分の人生を計りたい。シナリオを書く情熱は、それはギャラは高ければうれしいけど、金をもうけるとか、ということとは無関係ですね、僕の場合は」。

※年齢などの表記は当時のもの