昨年3月に亡くなった桂米朝さん(享年89)の生誕日にあたる6日、兵庫県姫路市の名古山霊苑で、米朝さんと妻の故絹子さん(享年88)が眠る名誉市民墓のお披露目式が行われた。

 式典には長男の落語家桂米団治(57)ら親族や、最古参弟子の月亭可朝(78)ら一門、米朝さんの旧友ら約50人が出席。米団治は「米朝を育んでくれた姫路へ恩返しの一助になれば」と言い、墓は米朝の名跡にちなみ「米」の文字を表現していることを明かした。

 米団治によると、米朝さんが亡くなった昨年夏、名誉市民に表彰されていた出身の姫路市から連絡があり、名誉市民墓の相談があった。

 「先代の文枝師匠は高津神社やし、松鶴さんは一心寺。米朝の墓はどこにしよかな、と。住吉大社さんか、天満宮か? と悩んでいたところ、お話をいただき、ありがたかった」

 申し出を即時、受け入れ、双子の弟、中川透さん(55)渉(わたる)さん(55)と相談。透さんから「せっかくなら普通の墓石ではおもしろくない。米の字を作ったらどうだろう」と提案があり、米団治も即決。米朝さんの名前を記した墓石の斜め前方の両側に石を並べ、上空から見れば「米」と読めるように、敷地内に石を配した。

 墓石斜め前方の石は「ベンチ」と言い、米団治は「座って、語らってもらったらうれしい」と話す。この日も、石に座って写真撮影が行われた。

 米朝さんは故郷の姫路への思い入れが強く、毎年、米朝独演会を開催。落語を引退した晩年以降は、米団治が姫路での落語会を引き継いできた。

 「子供のころ、まだ新幹線もなかった時代、おやじと一緒に電車で姫路へよく来た。特急席やったと思うけど、途中、検札に来た車掌さんが『米朝さんですか。いつも見ています』言うて、特急料金がタダになった記憶が忘れられへん。おやじ、すごいんやな! って思いましたね」

 幼少の米団治が初めて、父の偉大さを知ったのも、姫路へ向かう車中だった。「僕自身は姫路で生まれ育ったわけやないんですけど、なんか、故郷のような気いがするんですよね」とも言い、米団治は「私もここを第2の故郷と思って、愛し続けていきたい」と話した。

 米朝さんの遺骨は、生前に母の絹子さんが建てた兵庫県伊丹市と、中川家が代々眠る姫路市内の別場所に納めていたが、中川家の墓が傷んできたため、今回を機に、中川家の墓ごと、この霊苑へ移したという。

 米団治は「米朝は姫路で落語をするのを楽しみにしていたし、お客さんも、やっぱりよそとは違う『お帰り』のような感覚で迎えてくれた。でも、晩年はなかなか姫路にも来れなかったし、来ても落語はできへんかった。申し訳ない思いをさせたので、これからはこの墓標にゆかりの人が集まってもろて、語らってもらえれば。米朝の心は生きてると思います」と語った。

 米団治自身も、姫路での独演会は継続。来年1月15日には、姫路市市民会館で「第9回 桂米団治独演会」を行う。