「ツィゴイネルワイゼン」など鮮やかな色彩感覚と様式美あふれる作品で知られた映画監督の鈴木清順(すずき・せいじゅん)さん(本名清太郎=せいたろう)が13日午後7時32分、慢性閉塞(へいそく)性肺疾患のため、都内の病院で死去した。93歳。

 松竹の助監督時代をともにした篠田正浩監督(85)が若き日の素顔を振り返った。「松竹ではスクリプター(記録係)も助監督の仕事で、先輩の清順さんは正確さやきめ細かさで撮影所一だった。僕もそこで映画の作り方を学んだ。映画の基礎を助監督でやり尽くしたから、監督になってからは自由な作風になったのではないかと思う」。

 一方で、風貌は異彩を放っていたという。「旧制弘前高校の出身らしく、いつも、ゲタ履き。絵に描いたようなバンカラだった」。東大、京大出身者ばかりのエリート撮影所では目立つ存在だった。撮影が長引くと、後輩の篠田監督に「新宿のキャバレーに行って、先に場所を取っておけ。今の時間なら1ダース分安くなる」と先乗りを命じるようなところもあった。

 転出先の日活で、鈴木監督が社を追われると、篠田監督は率先して「鈴木清順問題共闘会議」のデモに参加した。「時代の流れもあった。70年安保の運動が盛り上がる中、清順さんが『権力の犠牲者』の象徴として祭り上げられたようなところもあった」。

 また「もう松竹大船撮影所の同窓会をやろうと思っても、集まる人が数えるほどになっちゃったね。清順さんは、僕にとっては兄弟子的な存在だった。好きに映画を撮って、93歳まで生きた。監督人生をまっとうされたと思います」としのんだ。