「聴かせる音楽」から「見せる音楽」に進化させ、1980~90年代に世界中のファンを魅了したトップスターの死は突然だった。米歌手マイケル・ジャクソンさん(50)は幼少時から数多くのヒット曲を放ち、華麗なダンスやミュージックビデオも人気を呼び時代の寵児(ちょうじ)に。しかし、晩年は奇行や性的虐待疑惑が話題の中心になり、寂しい末路だった。

 58年、インディアナ州の音楽一家に生まれた。兄弟5人で結成したグループ「ジャクソン・ファイブ」のボーカルとして69年にメジャーデビュー、一気に注目を集めた。

 その後ソロに転向。ビートルズの元メンバー、ポール・マッカートニーさんから作曲を学び、80年代には「スリラー」や「バッド」など世界的な大ヒット曲を連発、絶頂期を迎えた。

 「スリラー」のビデオでは映画監督を起用。約15分の大作となり、その後のミュージックビデオブームの立役者に。足を滑らかに動かしながら素早く後退する「ムーンウオーク」と呼ばれるダンスでもファンを引きつけた。マドンナさん、プリンスさんらとともに一時代を築き、トップスターの地位を不動にした。

 「今夜はビート・イット」ではハードロックバンド、ヴァン・ヘイレンのギタリストを招くなど、ポップスの可能性を広げることに力を注いだ。

 そんな人気も90年代に入って徐々に陰りが生じる。「長く、奇妙で、時にはこっけいな」(米メディア)転落の道をたどり始めた。

 93年には少年への性的虐待疑惑が表面化。約2000万ドル(約19億円)で和解したが、これと前後して、数々の奇行が報じられ、人気低下に追い打ちをかけた。

 黒人ながら肌を白くし、白人のような顔立ちにするため整形手術を繰り返したと報じられた。2002年には、ベルリンのホテルの窓から自分の子どもを落とすようなしぐさを見せ批判を浴びた。ニューヨーク・タイムズ紙は「驚きの一生」とある種の軽蔑(けいべつ)を込めて振り返った。

 そんな中、カリフォルニア州の広大な土地を購入、ゲームセンターや遊園地を備える自宅兼大型遊戯施設「ネバーランド」を建設した。メディアや市民からの好奇の視線を避け、子どもたちと引きこもるような生活を送った。

 そのネバーランドで少年への性的虐待を繰り返していたとして03年に逮捕された。05年の無罪評決後は音楽への熱意を取り戻し、来月にはロンドンでコンサートも予定されていたが、ファンが待ち望んだ「キング・オブ・ポップ」復活の夢はかなわなかった。

 [2009年6月26日13時4分]ソーシャルブックマーク