09年11月に96歳で亡くなった俳優森繁久弥さんの遺族による追悼本「人生はピンとキリだけ知ればいい

 わが父、森繁久彌」(新潮社)が5月31日に発売される。次男森繁建(たつる)さんと長女和久昭子さんが語った思い出をまとめたもので、身近にいた肉親だからこそ知る秘話、エピソードにあふれている。

 終戦後、森繁さんは34歳で映画デビューしたが、撮影所に通う時は妻杏子さん手作りの豪華弁当持参だった。建さんは「まだ売れていなくても、弁当が先に話題になっちゃった。何かすごい弁当を持ってきてる役者がいるぞと」。弁当ブルジョアと呼ばれ、それが監督、プロデューサーに注目されるきっかけとなった。

 大スターとなり、千歳船橋の自宅には来客が絶えず、夕食も「1軍・2軍・3軍」に分かれた。森繁さんとお客さんに男の子たちが1軍、弟子たち2軍は台所で、奥さんや娘たち、お手伝いさんの3軍は夜9時ごろに食べたという。昭子さんが結婚を決めた時、森繁さんに「私は家族がそろって、普通に茶の間でご飯が食べたい」と言うと、黙ってしまったという。

 ファンをとても大事にした。ある男性ファンとは40通余りの手紙を交換し、サインを求められた時は必ず一言二言を添えた。エッチな逸話も多いが、建さんは「普段の父からはまったくイメージできない。でも、散歩している時、男性に声をかけられても素っ気ないけど、女性は必ず手を振る。若い女性だと、笑顔もますます良くなって」と明かす。

 タイトルは、森繁さんが大学生になった建さんに「人生はピンとキリだけ知っていればいい。真ん中というのは普通に生きていれば嫌というほど味わえる」と言った言葉から取った。50年に初主演映画「腰抜け二刀流」のギャラで自分の墓を買った。建さんによると「これで入るところは決まった。あとはひたすら働くだけだ」と話したという。今年3月14日、親族の大人32人とひ孫9人が集まり、妻の待つ墓に納骨された。

 [2010年5月15日8時2分

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