70年代を代表する男性アイドルグループ、フォーリーブスのメンバーで歌手の北公次(本名・松下公次)さんが22日午前1時29分、肝臓がんのため、都内の病院で亡くなった。63歳だった。北さんはフォーリーブスのメンバーとして活躍。コーちゃんと呼ばれ、歌とアクションで存在感をみせた。ただ、グループ解散後はソロに転身したものの、芸能界の暴露本を書いたり、覚せい剤で逮捕されるなどで話題を呼んだ。昨年5月から肝臓がんと闘っていた。

 北さんは昨年5月ごろに肝臓がんが分かり、闘病生活を送っていた。今月9日には江木がブログで「最愛のメンバーが重い病と戦っていることが分かりました。マーボーとも会い、長時間話し合いました。そして2人でコーちゃんとも話ができ、少し心が落ち着きました」と明かしていた。

 北さんは09年2月にメンバーの青山孝史さんが肝がんで亡くなった後、残された3人でコンサートを行い、元気な姿を見せたが、再結成したフォーリーブスの活動は休止した。しかし、それから2年後に青山さんと同様にがんが北さんを襲っていた。北さんはがんと告知されながらも復帰を目指していたが、今月に入って容体が急変、奥さんと中学1年の1人娘にみとられて息を引き取った。

 北さんは66年にジャニーズ事務所に入り、フォーリーブスを結成。自ら作詞した「オリビアの調べ」でデビューし、70年には「NHK紅白歌合戦」に初出場。歌って踊れるアイドルグループとして人気を得て、北さんもコーちゃんの愛称で親しまれた。78年に解散後は同事務所をやめ、ダンス修行のために渡米。翌79年に帰国したが、覚せい剤取締法違反で逮捕され、その後、故郷の和歌山県に帰って、漁業組合に就職したものの、すぐに芸能界復帰した。しかし、仕事はなく、88年に芸能界の暴露本「光GENJIへ」を出版。ベストセラーになったが、芸能界から干される状態が続いた。

 私生活では3回結婚している。02年にフォーリーブスを再結成し、09年に青山さんが亡くなるまで活動を続けたが、その後は、活躍の場が減っていた。個人事務所で、ファンクラブの会員向けのイベントなどをほそぼそと行っていた。

 ◆北公次(きた・こうじ)本名・松下公次。1949年(昭24)1月20日、和歌山県田辺市生まれ。中学卒業後に上京し、フォーリーブスを結成。70年にNHK紅白歌合戦に初出演。41枚のシングルを出し78年に解散。俳優としても活躍、ドラマ「ボクは女学生」や「ボクは恋人」、映画「竜二」などに出演した。79年、覚せい剤取締法違反で逮捕。ライブなどで復帰後、ブティック、ハワイアン雑貨店を経営。82年に結婚した妻と6年後に離婚、その後復縁したが92年に再度離婚した。94年3月に再々婚。

 ◆フォーリーブス

 68年、シングル「オリビアの調べ」でデビュー。歌って踊れる清純派アイドルグループとして、ジャニーズ事務所の第1期黄金時代を築いた。メンバーは北公次さん(愛称コーちゃん)青山孝さん(ター坊、後に孝史)江木俊夫(トシ坊)おりも政夫(マー坊)。「地球はひとつ」「ブルドッグ」「急げ!

 若者」などヒット曲多数。70年からNHK紅白歌合戦に7年連続出場。78年解散。02年に24年ぶりに新曲を出し再結成したが、09年に青山さんが肝がんで亡くなった。