歌手で俳優の安岡力也さんが8日午前6時1分、都内の病院で心不全のため死去した。64歳だった。02年以降は度重なる病魔に襲われ、長い闘病生活を送っていた。歌手、俳優として活躍後、バラエティー番組「オレたちひょうきん族」でユニークなキャラクター、ホタテマンに扮(ふん)し、幅広い人気を獲得した。長男力斗さん(26)がこの日、遺体が安置された千葉県内の寺で取材に応じ、仕事への強い意欲を最後まで持っていた父を語った。

 力斗さんによると、安岡さんは、6日に一時危篤状態に陥った。それでも小康状態になった時、力斗さんにこうささやいた。「オレは負けたよ」。

 それまで周囲に弱音を漏らしたことは1度もなかった。初めて聞いた父の弱気な言葉。「そんなことないよ。勝ったよ」と応じるのが、精いっぱいだったという。安岡さんが自分の死を悟った瞬間だった。

 闘病生活は10年以上に及んだ。02年に肝臓を患い、その後、C型肝硬変、05年に多発性肝膿胞(のうほう)症、06年に手足が動かなくなるギラン・バレー症候群を発症した。一時復帰を果たしたが、10年6月に肝細胞がんが判明。同年8月には、C型肝硬変の治療のため、力斗さんの肝臓を移植する生体肝移植手術を受けた。当時、安岡さんは「パパな、もう肝臓だめなんだ。もし移植になったら力斗の肝臓くれるか」と切り出し、力斗さんが「心臓でも何でもくれてやる」と答えると、「そうか、ありがとな」と涙声で応じた。

 手術は成功したが、がんは肺などに転移していた。昨年12月、担当医は親族に余命1年と伝えたが、力斗さんは安岡さんには伝えなかった。仕事復帰に強い意欲を見せる父の姿を間近で見ていたからだ。闘病中、常に完全復帰を目指し、「ダメだ」とは絶対に言わなかった。最近も周囲に「バラエティーでも何でもいいからテレビに出たい」と語っていたという。願いはかなわず、容体が急変した6日から2日後、親族にみとられながら、静かに息を引き取った。

 力斗さんはこの日、会社員の自分に「お前も芸能界に行けよ」と芸能界入りを勧められていたことを明かした。亡くなる直前まで、「おまえはオレのエンゼルだ」と息子に語りかけ続けた。無頼のイメージで、お騒がせな一面もあった安岡さんだが、息子を最後まで愛した優しいパパだった。

 戒名は、鑑薔院濤力仁道大居士(かんしょういんとうりきじんどうだいこじ)。通夜は10日、告別式は11日に、千葉県内の寺で営まれる。

 ◆安岡力也(やすおか・りきや)本名同じ。1947年(昭22)7月29日、イタリア生まれ。国士舘大中退。63年結成のグループサウンズ「シャープホークス」で「遠い渚」「ついておいでよ」がヒット。64年「自動車泥棒」の主役で映画初出演。83年からフジテレビ系「オレたちひょうきん族」のホタテマンとして活躍。キックボクサーはミドル級で3勝1敗3KOの成績。85年に結婚したが99年に離婚。187センチ、血液型O。

 ◆ホタテマン

 80年代に高視聴率を獲得したフジテレビ系「オレたちひょうきん族」のコント「タケちゃんマン」に登場したキャラクター。ホタテの貝殻の着ぐるみ姿の安岡さんが、ほおを赤くしたメークで、映画「ジョーズ」のテーマ曲に乗って登場。女性や子供に優しい正義のキャラクターという設定だが、ドスのきいた声やドジな振る舞い、コミカルな動きで笑いも誘った。もともとは同番組にゲスト出演時、「ホラ貝吹け!」というセリフを「ホタテガイ吹け!」とNGを出してしまい、これが受けて発案された。ホタテ消費拡大に貢献したとして、安岡さんは「北海道ほたて漁業振興協会」から人生初の感謝状も受け取った。