英歌手ポール・マッカートニー(71)が11日、11年ぶりの日本公演「アウト・ゼアー・ジャパン・ツアー」を京セラドーム大阪からスタートさせた。ザ・ビートルズとして初来日した47年前の日本武道館公演を目撃した元RCサクセションのギタリスト仲井戸麗市(63)が、伝説の一夜を振り返った。

 ポールがザ・ビートルズとして来日初公演を行ったのは1966年(昭41)6月30日。当時の日刊スポーツを目にした仲井戸麗市が、少年に戻った。

 「懐かしい~。『家出少年を2人保護』って記事、オレかな?(笑い)。学校サボって、女の子ファンと宿泊先のヒルトンホテルの前に毎日立ってたから。車の中からポールが手を振った。利き手の左手。ひげそり後の青いほおまで見えて、うわーってなったよ」

 記事を読み進めると、さらに記憶は鮮明になる。同時に当時抱いた違和感もよみがえった。

 「『歓声で演奏が聞こえなかった』とあるけど、それは違う。俺たちビートルズ少年少女は、全曲知ってたから冒頭でジャーンとギターを弾かれれば一緒に歌えた。北西3階の上からでも、ちゃんと聞こえてた。1つの社会現象として見に来た大人たちは、聞こえなかったんじゃなく、聞こうとしなかったんだ。当時の風潮(※1参照)は、子ども心に違和感だったよ」

 「男が、おかっぱ頭でえりなしスーツに細いズボンと、あらゆる意味で衝撃だったんだね。でも日本中がビートルズでひっくり返ったっていうのは、絶対にウソ。皆、どんなものかと興味本位で見てたんじゃないかなぁ。実際に曲を聴いてたのは、高校のクラスでも3、4人程度だったから」

 ただ、日本人がビートルズに染まっていくきっかけになったのは間違いない。来日中の日本テレビの特別番組は視聴率56・5%。今も特別番組の最高記録だ。

 「両親がどう思うかって、顔色をうかがいながら見たよ。『イエスタディ』を、おふくろが『いい歌じゃない』って言って『ヤッター』って思ったさ」

 来日が決まった時から、うれしいのと同時に悲しくもあったという。

 「来るってことは、帰るってことだから(苦笑い)。ライブは35分ぐらいで、実感はあるようでなかった。映画『A

 Hard

 Day’s

 Night』で海外の女の子が失神してたのに比べると、日本公演は静かだった。たくさんの警察官がいてアリーナ席はなかったし、絶対にお客を立たせなかった。それでも舞台の彼らに夢中だった。『あーっ、出てきた!

 あーっ、帰っちゃった』って。羽田空港から日本を去るニュースを見て、子どもながらに、自分の何かが1つ終わったのを感じた。ビートルズの物語・映画に、自分が紛れ込んでいる心境だった」

 ポールの歌声を確実に受け止めた少年少女も大人になり、再びポールの元に集うツアーが大阪で始まった。仲井戸は19日の東京ドームで再会する。【瀬津真也】

 ※1

 ビートルズ来日公演主催の読売新聞社主で日本武道館館長の正力松太郎氏が「武道館を使わせてたまるか」と発言。TBS座談番組「時事放談」でも、政治評論家の細川隆元氏と小汀利得氏が猛批判。急きょ、ファンと2人の討論番組が放送された。

 ◆仲井戸“CHABO”麗市(なかいど・れいち)1950年(昭25)10月9日、東京都生まれ。70年にバンド「古井戸」でデビュー。78年からRCサクセションに加入。RCを忌野清志郎さんとともにギタリストとして支える。85年「THE仲井戸麗市BOOK」でソロデビュー。91年からユニット「麗蘭」やソロで活動。10年の還暦時には寺岡呼人、奥田民生、斉藤和義、桜井和寿らにトリビュートアルバムを制作される。