民主党と維新の党が合流し、新党を結成することになった。もともと、松野頼久代表ら維新の多くのメンバーは民主党出身。民主党政権時代に党を離れており、古巣に「Uターン」するだけの話ではあるのだが、急速に進む野党結集に向けた1つの「節目」にはなりそうだ。

 ただ、新党の党名をめぐっては双方の意見が対立。「民主」を残したい民主党と、「刷新」を求める維新の間で、激しい駆け引きが続いている。すでに、党名変更の余波で、民主の公認ゆるキャラ「民主くん」の雇用問題に発展。「民主くん」が解雇されれば、労働政策を重視してきた民主党の立ち位置にも影響する。党名は、両党合流の最大の注目課題になっている。

 新党名は、両党2人ずつから構成される「党名チーム」で今後、検討される。「刷新」を求めている維新側の1人、江田憲司前代表は「キラキラネームではなく、世論調査や公募で、国民の声を聴いて決めるべきだ」と指摘している。

 過去にも新党名を決める際、一般公募が行われ、タレントが審査に「参加」したこともあったなあ、と思い出した。

 94年12月に発足した「新進党」。党名が決まった過程では、14人の審査委員が審査に当たった。著名な作家や作曲家らに交じり、当時、グラビアアイドルとして人気だった、当時23歳のタレント細川ふみえも、加わった。党名公募を担当していた小池百合子衆院議員とともに、細川の審査員就任の「お披露目会見」まで開かれた。

 細川は、会見で「政治には詳しくないですが、若い人たちが政治に興味を持ってもらえることを期待されたと思う。その役目を果たしたい」と話していた。「安倍1強」といわれる今と政治状況は異なり、新党への期待は大きく、約10万1000通、1万2000種類の党名が寄せられた。

 絞りに絞った109の候補作から、最終候補に選ばれたのは、「希望党」「新進党」「新風党」「清新党」「人間党」の5種類だった。この時、審査員の1人は「政党の理念とフレッシュさは、相反するので、新しさを重視した」としながらも、「これぞというのはなかった」と、本音を打ち明けた。著名な文化人や人気タレントまで審査員に起用しても、人の記憶に圧倒的に残り、インパクトがある党名が世に出ることは、難しかった。大きな期待を背負って船出した新進党は結局、3年後の97年末に解党し、6つの党に分裂してしまった。

 当時の最終候補5作品をみると、新しさを現す文字は入っているものの、党名になると、そこまでの新しさは感じられない。国民の声が反映されたとしても、党名を決めることは、それだけ、難しさを伴う作業なのだろう。