「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が今年7月、ユネスコ「世界遺産」に登録された。1549年、日本に伝えられたキリスト教は、江戸時代に禁教となった。信徒への厳しい弾圧の中、潜伏キリシタンはそれぞれの集落で独自に信仰を実践してきた。代表的なのが、熊本・天草地区の崎津(さきつ)集落。小さな漁村は、運命共同体として維持され、今では仏教、神道、キリスト教が一体となった御朱印が出るほどだ。

静かな港に停泊する漁船の向こうに、とんがり屋根の教会が見える。熊本県天草市の崎津集落。今回の関連遺産として、世界遺産に登録された。江戸時代に潜伏キリシタンが多くおり、貝殻の紋様を聖母マリアに見立てるなどして、信仰の対象としていた。

キリスト教の信仰は、幕府の命令で1614年(慶長19)に禁止された。庄屋宅(現在の崎津教会)では、キリシタンかどうかを見定める「絵踏み」も行われていた。天草宝島観光協会のガイド亀子研二さん(74)は、「信者は違うふりをして絵踏みし、家に帰った後、踏んだ足をすすいだ水をすすり、許しを請うていたそうです」と話した。

仏教や神道の信者を装う名残から、古い民家では玄関を入るとすぐ仏間がある。また、玄関上にはしめ縄が年中飾られている。松の内で外すはずのしめ縄が、「隠れみの」になった。

当時は幕府が定めた「五人組」制度で、キリシタンの動きを見張ることも義務付けられていた。狭い集落なら、簡単に見分けられるはず。「お上」に密告すれば、現在の価格にして約1000万円もの賞金が支払われたという。「漁村という集落自体が運命共同体。信仰する宗教など関係なく、生活が営まれていたと思われます」(亀子さん)。

明治になった1873年、禁教の高札が撤廃された。その後設置された教会は、何と神社の階段の左にあった。1934年(昭9)、庄屋宅があった今の場所に建設された。絵踏みが行われた場所に祭壇がある。

幕藩体制確立から400年以上の時を超え、崎津教会で7月29日に曹洞宗普應軒(ふおうけん)、崎津諏訪神社と合わせての御朱印調印式が行われた。世界では宗教対立が絶えないが、崎津では三位一体。全国でも珍しい「崎津の三宗教の御朱印」が発売されている。これを求め、九州地方だけではなく、神戸や大阪など他府県ナンバーの車もやってくる。

この後に訪れた天草市の「天草キリシタン館」の平田豊弘館長(61)の言葉が忘れられない。「潜伏キリシタンには、見える価値と見えない歴史があります」。現場を訪れるからこそ、分かる真実でもある。【赤塚辰浩】