プロ野球記録の2215試合連続出場で「鉄人」と呼ばれた衣笠祥雄氏の死去を受け、京都市下京区にある母校の龍谷大平安高(旧・平安高)からも「偉大な大先輩が亡くなり、悲しい限り」と惜しむ声が聞かれた。

 衣笠氏は1964年に春夏連続で甲子園に出場し、65年の卒業後はプロ野球広島に入団した。副校長の燧土勝徳さん(55)によると、衣笠氏は関東で開かれる同窓会に毎年のように顔を出し、甲子園での母校の活躍を喜んでいたという。

 同窓会では、関東の大学に進んだ野球部出身の卒業生に「今はつらいかもしれないが、平安で野球をしたことは必ず人生で大きく役に立つ」と声を掛けていた。

 3年ほど前には、京都市内で衣笠氏の卒業50周年を祝う会が開かれ、「年を取ってきたが、みんなで頑張ろう」とあいさつし、同級生との再会を約束したという。

 ただ、ここ数年は同窓会に姿を見せなかったこともあり、燧土さんは体調を心配していた。「常に母校を気に掛けてもらい、多くの激励の言葉を頂いた」と悼んだ。(共同)