「尾木ママ」の愛称で、教育評論家として人気の尾木直樹法大教授(70)が3月いっぱいで退官、44年の教員生活に別れを告げる。「取り残される日本の教育 わが子のために親が知っておくべきこと」(講談社+α新書)を出版した、尾木ママに日本の教育界の現状について聞いてみた。

 「3月いっぱいで、自由の身(笑い)。26歳で(私立)海城高の先生になって、公立中学に変わって国語の先生。楽なんですよ、国語は(笑い)。勉強のできない、不良の子だって、授業に参加させやすい。『君どう思う?』って問いかけて、言葉でやりとりすればいいでしょ」

 その後、東大の講師などを経て、教壇に立ち続けた。テレビで「尾木ママ」として人気者になっても、基本は教え子に直接、語りかける教員だ。

 「教師の大変さは、同僚、校長との関係。同僚との関係で困ったのは、僕は毎日学級便りを書いたりしてました。そうすると、親しくしていた先生が『尾木先生にそんなに熱心にやられたんでは、私が手を抜いてるように思われるから、やめてください』って」

 元々は教師になる気は、みじんもなかった。むしろ嫌いだった。

 「高校1年の時に、ばかばか殴る体育の教師に反抗してね。そしたら『お前、授業受けるな』って言われて。『はい、受けません』っていって、ずっと受けなかったの(笑い)。そしたらね、単位くれなかったの。その1月に父親が滋賀から四国に転勤になって、編入試験を受けたんですよ。そうしたら受けた学校から呼び出されて『君は(編入試験の)受験資格はないですよ』って言われたの。成績証明を見せられて『前の学校であなたは単位を全部習得してない。1年生を修了できていない』と。2年に編入させるわけにはいかない、ただし1年生をもう1回やるなら、入ってもいいよ、って言うんですよ。で、1年生を、もう1回やった。というような事で、とにかく嫌な思い出しかないんですよ。学校の先生に対しては」

 教師になる気は全くなかったが、早大の教育学部に進学した。

 「周りの皆が、4000円出して教職(課程)取るっていう流れになってたから、僕も取った。就職の時、僕はジャーナリストになりたかったんですよ。そうしたら、うちのおふくろが『あんたは教師が向いてる』って言うんですよ。先生に嫌な思いをさせられてるから、不良とか、不登校の子とか、そういう子の気持ちがよく分かる、とね。で、なるほどー、理屈にあってるなあと思って(笑い)」