映画「トラック野郎」「仁義なき戦い」シリーズなどに出演した元俳優の菅原文太さんが28日午前3時、転移性肝がんによる肝不全のため死去していたことが1日、分かった。30日に福岡・太宰府天満宮で家族葬が行われた。

 81歳だった。宮城県仙台市出身。菅原さんはファッションモデルを経て、58年に映画俳優として本格デビュー。渋い語り口と温かみある演技で愛され、任きょう映画などでいぶし銀の存在感を発揮した。12年11月に俳優業引退を宣言。山梨県で農業を営んでいた。

 菅原さんは高校まで仙台で過ごし、上京。早大を中退した後は、180センチの長身を生かしてファッションモデルをしていた。58年に新東宝にスカウトされて映画俳優としてデビューした。吉田輝雄、高宮敬二、寺島達夫ら二枚目俳優たちと「ハンサムタワーズ」と呼ばれ、親しまれた。

 広島を舞台に暴力団同士の抗争を描いた「仁義なき戦い」(73年)では、義理固い若い衆を演じた。さらに、75年に公開された「トラック野郎・御意見無用」では、愛川欽也(80)演じるヤモメのジョナサンと人情味あふれるやりとりが人気に。立て続けに大ヒットした2つのシリーズが、菅原さんを国民的な人気俳優に押し上げた。

 プライベートでは、1男2女に恵まれた。俳優デビューした長男加織(かおる)さんとは、92年にビデオシネマ「ビッグ・ボス」で初共演した。加織さん主演の映像作品「デコトラ外伝

 男人生夢一路」をプロデュースしたが、01年10月に加織さんを踏切事故で亡くした。その後は「表に出たくない」と、公の場に姿を現すことを嫌うようになった。07年にはぼうこうがんを患うなど、体調を崩していた。12年11月には俳優引退を宣言した。