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F1 石田雄彦記念杯

石田雄彦選手とは

特別競輪5回制した「浪速のこって牛」

第2回日本選手権競輪(第18回ダービー) 優勝した石田雄彦=1964年11月10日
第2回日本選手権競輪(第18回ダービー) 優勝した石田雄彦=1964年11月10日

 今回で第25回となる石田雄彦杯。その冠名となった石田雄彦(いしだ・ゆうひこ)さんは現在のG1にあたる特別競輪を5回制覇した昭和の名レーサーだ。

 デビューは競輪創生期の1950年(昭和25年)4月。当時は和歌山登録でさほど強い選手ではなかった。しばらくして危機感を抱き、アップダウンが激しい金剛山で街道練習に組み込み、力を付けてトップレーサーへの道を歩んだ。

 もう1つの逸話がある。50年当時の競輪は競技運営すべての面で完成されていなかったため、トラブルが相次いだ。問題解決のため同年9月から2カ月間競輪開催が自粛された。当時を関係者が聞き伝えとして話してくれた。

FⅠ第13回石田雄彦杯を手に笑顔の大河原和彦(左)。右は石田雄彦さん=2004年9月12日、岸和田競輪場
FⅠ第13回石田雄彦杯を手に笑顔の大河原和彦(左)。右は石田雄彦さん=2004年9月12日、岸和田競輪場

 「石田さんは自粛期間中に生活費を得るため、工事現場の作業員として働いていたそうです。全身を使った力仕事だったのでしょう。競輪が再開すると、それまでと全く違う走りができて驚くほど強くなったそうです。まさに現在の『筋トレ』だったのです」。

 その後は「浪速のこって牛」の異名を取った、豪快な先行まくりで一世を風靡(ふうび)した。積み重ねた成績は3364戦1160勝で、歴代4番目の勝利数だった。その功績は今でも色あせることなく輝いている。

 ◆石田雄彦(いしだ・ゆうひこ)1934年6月13日大阪・羽曳野生まれ。2015年11月7日に死去、享年81。特別タイトルは55年競輪祭、56年オールスター、59、64年ダービー、60年高松宮記念杯。91年4月引退。通算獲得賞金1億3955万8700円。



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