日本代表がW杯アジア最終予選で戦ったタイに訪れたのは初めてだった。タイでのサッカー人気は非常に高く、タイ人でも日本代表のユニホームを着ている人がチラホラ。町のバーでは、欧州のサッカーがひっきりなしに流れ、屋台でも地元の人たちが立ち見でテレビにくぎ付けになっていた。オーナーがタイ人のレスターが、プレミアリーグを昨季優勝。優勝パレードをバンコクで行った際、その熱気にFW岡崎慎司(30)も驚かされたという。

 だから日本-タイ戦当日は、約6万5000人収容のラジャマンガラ国際競技場はほぼ埋め尽くされていた。会場までのアクセスは非常に悪く、日常的な渋滞がさらに悪化。最寄りのラームカムヘーン駅から歩けば40分。渋滞がひどいからタクシーも乗れない。そこで活躍するのが、バイクタクシー。60バーツ(約180円)でスタジアムまで運んでくれるが、これが怖かった…。

 “にけつ”のまま猛スピードでかっ飛ばす。振り落とされないように、バイクの車体をつかむ。飛ばされても商売道具のパソコンだけは離すまいとカバンを抱きかかえて。渋滞ゾーンでは、車の間をかき分けてどんどん進む。こんなんで事故にならないのか? と不安になると反対車線で事故。そして前方にも追突した車両が停まっていた。幸い大きな事故にはなっていなかったのか、当事者たちはなぜか笑っていた。

 タイといえば、「ほほ笑みの国」と言われている。確かに、ホテルの人はいつも手を合わせて「コップンカー(こんにちは)」と笑顔。屋台のおばちゃんたちも親切な人が多い。もっとも印象的だったのは、試合前のタイ代表選手たちの表情だ。練習中も笑顔があふれ、引き揚げる際もニコニコ取材に応じる。キャティサック監督は地元メディアと笑顔でよく話し、気さくな人だった。ホームで0-2で敗れた後も観客は拍手を送っていた。

 地元テレビ局のリポーターは「タイのサッカーはまだ発展途上だから」と、気落ちすることなく笑顔で言う。原稿出稿を終えまだ雨が降る中、会場近くで急いで反対車線のタクシーをつかまえ乗り込んだ。なにやら複雑な表情を浮かべる運転手。すると外に向かってしきりに謝っていた。自分たちの先にタイ人カップルが手を挙げて待っていたのだ。周りが見えていなかった自分の恥ずかしい行動に、タクシーを降りようとすると、カップルは「問題ないわ」とほほ笑み、その温かさが罪悪感を溶かしてくれた。

 最終予選はホームアンドアウェー方式。今度はタイが日本にやってくる。熱狂的なファンもきっと応援にくるだろう。「おもてなし」という言葉が、東京五輪招致を機に世間に広がった。4年後だけを見ず、心一つで、今できることはきっとある。そう感じさせてくれた初めてのタイだった。【栗田成芳】


 ◆栗田成芳(くりた・しげよし)1981年(昭56)12月24日生まれ。サッカーは熱田高-筑波大を経て、04年ドイツへ行き4部リーグでプレー。07年入社後、スポーツ部に配属。静岡支局を経てスポーツ部に帰任。14年W杯ブラジル大会取材。タイの人たちは優しかったけど、道ばたでいきなり腕をつかみ、お誘いしてくるガタイのいい「オネエ」の方たちの不敵な笑みには、最後まで慣れなかった…。