関西でも、桜のつぼみが膨らみ始めた。3月。1人のアスリートが、ユニホームを脱いだ。元フットサル日本代表で、Fリーグ・デウソン神戸の鈴村拓也(38)。かつてはJ1神戸に在籍し、フットサル転向後はスペインリーグにも挑戦した。3月20日に代々木第1体育館であった全日本フットサル選手権の3位決定戦、府中アスレチック戦が現役最後の試合になった。

 04年からサッカー担当記者になった私は、関西を中心に長く取材をさせてもらった。その中で最も印象に残る選手が、彼だった。引退から数日が経ち、最後に「お疲れさま」と伝えたくて電話をかけた。すぐにつながる。元気な声を聞いただけで、安心した。

 「完全燃焼できたのかな~。悔しかった思い出の方が多いですよ。後悔もいっぱいある。でもね、それも含めていい経験だった。悔しいから、またやろう。その連続で、ここまでやることができた。ヴィッセルにいた時にもっと頑張っていればとか、フットサルで日本代表になった時も、もっと努力していればとか。思い出したらきりがない」

 あれは5年前、冬の日のことだった。初めてフットサルの取材をしたのが、デウソン神戸のリーグ戦だった。試合後に1人の選手が、まだ幼い娘を抱いて泣いていた。集まった観客に向かって、子供のように泣きじゃくりながら、無期限の離脱を公表した。それが鈴村との出会いだった。

 彼は上咽頭がんを患っていた。チームを離れたのは治療のため。だが、いつ戻れるかも分からない。当時は戻ってくる保証など、どこにもなかった。

 これも何かの縁だったのだろう。がんから復活する鈴村の生き様を残したい-。デウソン神戸のスタッフ、Fリーグ関係者の強い思いもあり、私が鈴村の闘病記を書くことになった。神戸にある大きな大学病院の喫茶室。彼と約束をした。

 「どんなに治療がつらくても。仮に体力が衰えてしまっても。最後まで取材は続けましょう」

 ある程度の想像はしていたが、取材は困難を極めた。病室を訪ねたのは10日に1度のペース。三ノ宮から地下鉄に乗り換え、大倉山で降りる。駅から病院までの足取りが重くなった。会う度に、目に見えて彼はやせ細っていった。その姿を見るのが、つらかった。病室をノックする。扉を開くと、洗面器に顔をうずめ、うめき声を出しながら嘔吐(おうと)していた日があった。涙があふれそうになった。だが、私がつらい顔をすれば鈴村を不安にさせてしまう。「しんどい」と漏らす彼に、私は無理な作り笑いをしながら言った。「またボールを蹴ろう。その時は俺にフットサルを教えてくれ」と。

 抗がん剤投与と並行して、放射線治療を受けていた。口には数え切れないほどの口内炎。ゼリーのようなものしか食べられない状態だった。ある日、私が大阪で行列のできる店のロールケーキを持って行ったことがある。彼の娘に食べさせようと思っていたのだが、鈴村はベッドに横たわりながら、むしゃむしゃとそのロールケーキを食べてくれた。「まともなものを食ったのは、何日ぶりやろうか」-。そう彼がつぶやいたのが、忘れられない。

 そんなつらい闘病の日々から、丸4年が過ぎた。「今だから言える」と前置きした上で、私は電話の向こうの鈴村にこう明かした。「正直、取材をしながら、もしものことを考えたこともあったよ」。すると、彼はこう返してきた。

 「俺も1度、ふと死が頭をよぎったことがありますよ。抗がん剤治療を始めてすぐくらいかな。ドラマにあるみたいに、本人に伝えていないだけで、本当はもうやばいんじゃないかと。嫁に聞いたんです。『ホンマはどうなん?』って。でも、嫁は『絶対にそんなことはない』って言ってくれた。治療はキツかったけれど、信じようと思ってやってきた。つらさがピークの時には、澤(穂希)さんがお見舞いに来てくれた。それで精神的にピリッとして、またボールを蹴るんだという気持ちになったんです」

 一時は体重が10キロ近く落ちた。それでも再びコートに戻ってくるのを諦めなかった。13年9月に復帰。以降、定期検査を続けながら、プレーを続けてきた。

 3月限りで、私はサッカー担当を離れることになった。最後に、死の恐怖と向き合いながらも現役復帰を果たした彼の生き様を、伝えたい。そんな思いから、このコラムをつづっている。

 これから、鈴村は指導者としての道を歩む。

 「高校(四日市中央工)の時や、サッカー、フットサルでも。今までの人生で、日本一になったことがないんです。日本一になりたいですね。自分の経験を伝えながら、指導者として上を目指していきたい」

 確かに彼は今、生きている。不屈の闘志で、もう1度、大きな夢をかなえて欲しいと願う。【益子浩一】


 ◆益子浩一(ましこ・こういち)1975年(昭50)4月18日、茨城県日立市生まれ。00年に大阪本社入社。プロ野球阪神担当を経て、04年からサッカー担当となりG大阪、C大阪、神戸など関西圏のクラブを中心に取材。W杯は10年南アフリカ、14年ブラジル大会を取材。