「ボンバーヘッド」の愛称で親しまれた元日本代表DF中沢佑二(横浜F・マリノス)氏が8日、40歳で現役引退を発表した。左膝痛などに悩まされながら最後までピッチに戻る道を探った末に、きっぱりと決断した。

同日、自身のブログでも引退を発表。「ありがとう」のタイトルでつづられた中にこうあった。

村田先生

ブラジルに行きたい!プロサッカー選手になりたい!という夢に対して親身になって相談にのってくださり本当にありがとうございました。

先生がご馳走してくれた焼鳥は一生忘れません(笑)

(本文まま)

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中沢氏に焼き鳥をごちそうした「村田先生」は、当時を懐かしく回想した。

「『好きなのを頼め』と言ったら、本当にメニューの端から全部頼んだんですよ。全部たいらげてました。でもお酒は一滴も飲まずに、20時半には『明日も練習があるので』と言って帰っていました」

三郷工技術高(埼玉)サッカー部監督として、高校時代の中沢を指導した村田義昭さん(61)。定年退職した現在は、非常勤で浦和東高のサッカー部を指導している。

地元の行きつけだった焼き鳥屋に2人で入ったのは、中沢がヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)に正式入団する直前のこと。ブログにあった焼き鳥の記憶は村田さんもはっきりとあった。

お酒もまったく飲まないストイックさで知られる中沢氏。その姿は高校時代から変わらないという。

「食事でトンカツを食べに連れて行ったら衣は全部とっていた」

風邪をひいて練習を休むことも、自己管理がなっていないから。全国区の強豪とは言えない学校で、中沢氏ほどの向上心を持つ選手を村田さんは見たことがなかった。

自分に厳しすぎる性格は、知らぬ間に仲間にプレッシャーを与えた。

「彼が3年生で主将のときは、後輩が10人くらいやめてね」

主将の姿勢に、生半可な気持ちではついていけない。身を引く選手も少なくなかった。サッカーのために、どれだけのものを犠牲にするか。昨季も、入念なケアのため試合や練習の後に帰路につくのはきまって最後。注ぐ情熱は変わることはなかった。

中沢氏が高校卒業後にブラジルへ留学したのは有名な話だ。きっかけは高3の夏に行ったブラジル遠征。同国の強豪アメリカの下部組織と試合や練習を行い、食事の席もともにした。ブラジル選手の身体能力や技術に驚かされるばかりだった遠征の中、練習生として声をかけられたのが中沢氏だった。

「今すぐ学校を辞めて、ブラジルにいきたい」。

またとないチャンスに目を輝かせる中沢氏。村田さんは背中を押した。

「ちょっと待て、卒業してからにしなさい。なんて言いながらね」

大学からも複数のオファーはあったが、教え子のストイックさと情熱にかけた。ブラジルでは契約がかなわず帰国も、99年にV川崎(現東京V)とのプロ契約にこぎつけた。

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01年夏。村田さんは春日部東高にうつり、合宿を張っていた。横浜に移籍する直前だった中沢氏が訪れ、体力強化のためにインターバル走を繰り返す選手を見て聞かれた。

「ゲームはやらないんですか」

選手にとっては苦しい練習だが、冬の高校選手権に向けた積み重ねも欠かせない。

「夏なんて、死ぬための練習だよ」

冗談を返すと、もう1度すっと選手のほうに目をやった中沢氏は答えた。

「そしたら、僕も1本やりますよ」

汗まみれになって本気で走り、高校生に大差をつけてゴールした。

「あんなにムキになって…」

やると決めたら追い込まずにはいられない。そんな、変わらない教え子の姿がうれしかった。

練習後、2人で合宿所の食堂に向かった。冷たいたぬきうどんをすすりながら聞いた言葉を、村田さんは忘れずにいた。

「J1でだめになったら、いさぎよくやめます」

なにも言葉を返さず、胸にしまった。

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昨季、出番がない教え子を案じていた。ただ、なにかを聞いたりすることはなかった。高校時代からそうだった。自分で考え抜いて決める姿を見守ってきた。だからこそ、引退の一報を静かに受け止めた。

「追い込みすぎるほどの気持ちはものすごいけど、体はぼろぼろだったんじゃないかな」

夢だったJリーグで、04年には日本人DFとして初めて年間最優秀選手に。J1通算593試合出場は歴代3位だ。日の丸を背負い、2度のワールドカップ(W杯)に出場した。練習生の立場からしがみつくように勝ち取ったプロ契約から20年。すべてをサッカーにささげてきた男が、プロサッカーの舞台から離れることを決めた。

「最後まで、自分に正直な男でした」

走りきった教え子を包むような、あたたかい声色だった。

◆岡崎悠利(おかざき・ゆうり) 1991年(平3)4月30日、茨城県つくば市生まれ。青学大から14年に入社。16年秋までラグビーとバレーボールを取材。16年11月からはサッカー担当で今季から主に横浜とFC東京、アンダー世代を担当。