セレッソ大阪を愛し、そのサポーターからも愛された前監督のレビークルピさん(68)が3日夜、関西国際空港発の航空機で日本を後にした。8月26日にC大阪の監督を事実上の解任となり、この夜、大好きな日本に別れを告げた。

ブラジル人監督としてC大阪で計9シーズン、G大阪で1シーズンに携わり、Jリーグでは異例の計10シーズンも監督生活を送った。終盤こそ結果は残せずに途中解任の連続だったが、日本に多大な貢献をした人に違いない。記者は、取材という名のお別れに足を運んだ。

空港の出発ロビーで待ち構えていた記者があいさつすると、愛称レビーさんは監督でもないのに、笑顔で対応してくれた。

「もう日本で監督をすることはないですか?」

「難しいかな…。今年1年は監督生活最後のつもりでやっていた。私は(昨年の時点で)既にブラジルではサッカー界から引退していた身。日本、C大阪からのオファーだったから1年限定、今年が最後のつもりでやっていたんだよ」

既にサッカー界を引退していた昨年末、C大阪から4度目の就任要請を受けて戻ってきた。97年、07~11年、12~13年、そして21年(G大阪は18年)。母国ではクルゼイロやボタフォゴなど名門クラブで監督を務め、一時はブラジル代表監督の候補にも上がった。そんな名伯楽は、C大阪が困れば、オファーに首を横に振らなかった。

C大阪での第2次、第3次政権では香川真司、乾貴士、清武弘嗣、山口蛍、柿谷曜一朗、南野拓実らの育成に尽力し、10年はクラブ史上最高順位の3位につける結果も残した。だが、当時の再現を期待された今季、結果はもちろん、内容も乏しかった。記者も厳しい意見を書いた。

以前のような若手の抜てきは少なく、主力をより固定化した。起用されない選手を中心に、チーム内には閉塞(へいそく)感があったと聞く。レビーさんをよく知る複数の関係者も「長い歳月がたち、彼は優しくなってしまった」と声をそろえる。過去のような、いい意味での緊張感をチームに与えられなかったと思う。

退任までの17試合はわずか2勝。1-5で大敗した最後の指揮となった湘南ベルマーレ戦後、レビーさんは「神様が、もうこのくらいで私に、引退しなさいと言っているようだ」とつぶやいたという。

コロナ禍の今季、レビーさんは渡航規制が起こる直前の1月2日に正月返上で来日した。感染拡大が収まらない大阪で、この8カ月は単身でホテル生活を送った。そんな不自由があっても、心身とも決して簡単ではなかった監督業を、自身の哲学を貫き、真正面から向き合っていたのは、尊敬に値する。

レビーさんがこの夜、航空機で向かったのはパリだった。故郷ブラジル南部の地方都市クリチバに戻るには乗り継ぎを含めれば、軽く30時間以上はかかる。68歳の高齢のため、ブラジルにいた夫人はレビーさんを心配し、パリに向かい、そこで2人は合流して現地で数日は静養するという。

この夜の空港ロビーには、30人ほどのサポーターや有志が集まっていた。直筆の手紙やプレゼントを受け取るレビーさんは、本当にうれしそうだった。大阪市に住む50代の男性は「監督業を引退していたのに、C大阪に来てくれたことに感謝します」と頭を下げた。

指導者生活約36年間、世界ののべ32クラブを率い、指揮した公式戦は2000試合に近い。レビーさんは搭乗ゲートをくぐる前に、見送った人々に言った。

「私はたくさんのキャリアを積んできたが、これほど愛着のあるクラブはブラジルにもありません。みなさんの友情に感謝します。これからセレッソのサポーターが1人増えます。それは私です」

レビーさん、またお会いしましょう。【横田和幸】