<W杯アジア最終予選:日本1-0イラク>◇B組◇11日◇埼玉

 ジーコ監督に認められなかった日本代表FW前田遼一(30=磐田)がジーコイラクを破った。イラク戦の前半25分にFW岡崎のクロスを頭で合わせて先制点を決めた。香川の緊急欠場、DF3人の出場停止、日本を知り尽くした敵将と、重なった不安要素を振り払う決勝弾。かつてジーコジャパン時代、1度も招集されなかった男が、日本を救った。

 6万人の不安が吹き飛んだ。前半25分。前田が現れた。DF駒野のスローインで相手DFの裏をとったFW岡崎がダイレクトで左足クロス。虚を突かれたイラクDFラインの真ん中に、飛び込んだのが前田だった。勢いをつけたヘッドに日本が救われた。ジーコ監督率いる難敵イラクが相手、さらに10番のFW香川を腰痛で欠く非常事態に、スタジアム内でまん延した不穏な空気を1発で一変させた。

 前田

 相手の当たりが激しく、厳しい試合だった。練習通り、最高のパスを出してくれたオカ(岡崎)のおかげ。本当に大事な一戦ということは分かっていたので、絶対に勝つつもりだった。

 試合前から相手の穴を見抜いていた。イラクの映像を見て「中東らしいDF。バランスがあまりよくないからギャップはつくりやすい。マークはずれると思っていた」。最終予選では不動の1トップ。海外組を背に先頭に立つ。口癖は「FWはゴールすることが仕事。それができなければ、自分がここ(代表)にいる意味がない」。最終予選でのホーム3戦連発で、国内組の意地とともに存在感を発揮した。

 日本を知り尽くしたジーコ元日本代表監督と接点はないが、ジーコ監督のおかげで成長できたと感謝している。前田が初めてA代表に選ばれたのは、11年もさかのぼるトルシエジャパン時代。20歳になったばかりの01年10月に、U-20日本代表での活躍が認められ、代表候補合宿に初招集された。若手時代から代表レベルで評価を受け、オシム時代に初キャップを踏み岡田政権にも呼ばれた。しかし、02年W杯後のジーコ体制だった4年間のみ1度も呼ばれなかった。ただ、今の前田はこう感じている。

 前田

 あのときの自分はまだまだ実力不足だった。ジーコの判断は正しい。呼ばれていたら、調子に乗っていたと思うし。呼ばれなかったから、あのときに自分を見つめ直せた。だから今の自分がある。

 認めなかったジーコ監督相手に決めた恩返し。30歳を過ぎて定着した国際舞台に「危機感はいつもある」。その意識が原動力。だから前田はゴールを決める。【栗田成芳】