<天皇杯:G大阪3-1山形>◇決勝◇13日◇日産ス

 3冠への第1歩はMF大森晃太郎(22)のゴールから始まった。2点ビハインドを跳ね返したナビスコ杯・決勝広島戦(11月8日)で勝ち越し弾を決め、今季初タイトルをもたらした。リーグ戦も24試合5得点で優勝に貢献。中学時代から同学年の宇佐美と切磋琢磨(せっさたくま)してきた生え抜きが、日刊スポーツに手記を寄せた。

 しびれました。ナビスコ杯を取って、リーグ戦で大逆転優勝ができて。それだけでもすごいことなのに、どこかにまだやり遂げていない自分がいました。天皇杯も頂点に立ってついに3冠。やっと実感が湧いた。めちゃくちゃうれしいです。

 僕がここまで来ることができたのは貴史(宇佐美)のおかげです。G大阪ジュニアユース(中学世代)から同じチーム。昌子(現鹿島)がトップ下をやっていて、試合に出られずラインズマンをやらされて、練習に行かなくなったこともある。僕はずっと貴史の陰に隠れて、注目されることもなかった。何でアイツだけやねん!

 アイツができるなら俺にもできる!

 ずっとそう思いながらやってきました。彼の存在は大きかった。アイツがいたから、俺は今、ここにいることができる。アイツがいなければ、プロになることはできなかったです。

 先輩にも恵まれました。僕と貴史は“岩下組”。プライベートでも一緒にいることが多いです。高校を出てプロに入って右も左も分からない自分に、岩下選手から礼儀を教わりました。食事に行くと「先輩よりも先に箸を付けたらダメやぞ」。「年上の人と乾杯をする時は、お前らは下からや」。「先輩や上の人が座る位置も考えろよ」。優しく教えてもらいました。そういう礼儀はサッカーにも生きています。人生は1回きり。周りは遊んでいても、本気でサッカーができるのは今だけ。だから休みの日も遊びには行かず、疲れを取るために寝ています。

 僕にはまだ大きな目標があります。プロ1年目の時、練習の後に実好コーチ(現名古屋コーチ)に呼ばれて「お前は何歳で日本代表になるんや?

 今ここで約束しろ」と言われました。貴史も同じように言われたらしく「宇佐美は22歳で代表になると言うとるぞ」と。それじゃ、僕は24歳になるまでに代表に入ります!

 そう誓いました。

 はじめは女の子にモテたくてサッカーをやりました。でも今は、3冠に貢献できて、いい先輩と同学年のいいライバルもいる環境でやることができている。貴史は昔から「お前ならできる!」。僕にそう言ってくれます。アイツに認められているのもうれしい。今は歴史に残ることができて、最高の気分。でもこれに満足してはいけない。来季はこれ以上の結果が求められる。僕自身もっともっと上を目指して、成長していきたいです。(G大阪MF)

 ◆大森晃太郎(おおもり・こうたろう)1992年(平4)4月28日、大阪市生まれ。幼稚園からサッカーを始める。大阪・塚本小時代は大阪セントラルに所属。G大阪ジュニアユースでは高円宮杯連覇に貢献し、同ユースでも1年時に宇佐美とJユース杯を制覇。11年にトップ昇格。U-15(15歳以下)から各世代の日本代表。167センチ、63キロ。