ラリー界に激震 !

 三菱自動車が世界一過酷なモータースポーツとして知られるダカール・ラリーからの撤退を4日、発表した。今後は個人参加ドライバーへのサポートは継続するものの、自社チームで参戦するワークス活動からは完全撤退する。同社では世界的な経済情勢悪化に伴う経費削減などを撤退理由に挙げた。

 三菱自動車の社内に衝撃が走った。4日午前、正式に「ダカール・ラリーからの撤退」が決まり、全社に通達された。約20人の部員を抱える「モータースポーツ部」は解散し、ほぼ全員が「EV(電気自動車)開発部」への異動を申し渡された。ある事務系社員は「さみしい限りです…。ラリーあっての三菱車なのに」と言葉を詰まらせた。

 午後2時に、本社で行われた「08年度第3四半期(08年4~12月)決算説明会」では、ダカール・ラリーだけでなく「全モータースポーツからの撤退」が発表された。自社で参戦するワークスチームを解散し、すべてのラリー競技から退く。一方で個人参加のドライバーに対するサポートは引き続き行う方針を、併せて公表した。

 三菱自動車とラリーのつながりは深い。74年に小型セダン「ランサー」で第22回サファリラリー優勝。83年に初エントリーしたパリ・ダカール・ラリーでは、85年に4輪駆動車「パジェロ」が総合優勝を果たした。以後、通算26回の参戦でV7を含む通算12回の総合優勝を達成した。

 90年代まではラリーに勝つことで知名度が上がり、ラリーで培った技術を盛り込んだ市販車が売れる相乗効果をもたらした。転機が訪れたのは00年「リコール隠し問題」の発覚だった。業績不振に陥った同社だったが、ダカール・ラリー、世界ラリー選手権(WRC)への参戦は続けてきた。しかし、05年にWRCから撤退。今年1月のダカール・ラリーには8連覇をかけてエントリーしたものの、最高で10位と惨敗。昨年末から絶えなかった、ラリー完全撤退のうわさが現実のものとなった。

 02、03年にパリ・ダカール・ラリーを制した三菱自動車のワークスドライバー増岡浩(48)は「過去20年以上にわたり三菱チームで参加した“ダカール活動”が終了することはとても残念に思う。しかし、昨今の経済情勢を考えると、この判断もやむを得ないだろう」とコメントした。ラリーからの撤退で削減できる経費は20億円前後とみられる。今後は環境対応車開発に、その経費を充てる方針という。