「古賀兄弟」が会場を沸かせた。92年バルセロナ五輪男子71キロ級金メダルの古賀稔彦氏(47=環太平洋大柔道部総監督)の次男玄暉(げんき、16=愛知・大成1年)が、男子60キロ級で初優勝。73キロ級では長男颯人(はやと、17=愛知・大成2年)が惜しくも準優勝に終わったが、決勝では延長戦を含め約13分の熱戦を繰り広げた。20年東京五輪で2つの金メダルを掲げるため、切磋琢磨(せっさたくま)で頂上を目指す。

 古賀の遺伝子が躍動した。まずは弟の玄暉。3回戦から緊張で両手がつる窮地にも動じない。「先に拳を握ると開かなくなってしまう」と、決勝でもパーの形に広げてから道着をつかむ巧みさで、積極的に前に出る。中盤に相手に指導。逃げ切り勝ちすると、視線を次の試合に向けた。

 登場したのは兄の颯人。互いに技の好機を探り合う展開は延長戦へ。審判から「待て」がかかるたびに会場にはどよめきが起きる。最後は延長9分50秒。足技を嫌って畳外に下がった颯人に指導。昨年大会、高校総体に続く決勝3連敗に「弟が勝っていた。負けられないと思った…」と号泣したが、奮闘した。

 弟のつった手をマッサージし、兄には組み手を助言した父稔彦氏は、「弟は上に向かう立場で、自分の力を出しやすい。兄貴はもう一踏ん張りかな」と見守った。2人には1度も柔道を強制したことはない。代名詞の一本背負いも相伝せず、個性を重視。兄は内股、弟は小内刈りが武器。2人とも小学校卒業とともに神奈川県内の実家を出て、愛知県へ。最近ではメールで兄からはプロテインをおねだりされ「今年から主将だし、意識が変わってきたかな」。弟は「おしゃれグッズが多い」と苦笑しながら、将来を楽しみにする。

 「一緒に優勝できなくて悔しい」。弟が険しい顔で話す横で、兄は口を真一文字に結び、それ以上の悔しさをあらわにしていた。目標は20年東京五輪で、一緒に優勝すること。家族で3つの金メダルへ、共闘は続く。【阿部健吾】