シンクロナイズドスイミングで11年ぶりの日本代表ヘッドコーチ(HC)に復帰した井村雅代氏(64)が、日本にメダルをもたらした。乾友紀子(24=井村シンクロク)三井梨紗子(21=東京シンクロク)が92・0079点で銅メダルを獲得。日本勢として07年メルボルン以来、4大会8年ぶりの表彰台となった。五輪計14個のメダルへ導いた井村HCは、長く低迷した日本をどう立て直したのか? その極意に迫った。

 昨年4月、井村HCは都内の会議室に選手を集めた。「毎回の練習を厳しく、自分を追い詰め、無理をして、120%の力を出して練習してほしい。しんどいとは思うが」。地獄のスパルタ指導の始まりだった。

 (1)軍隊式練習 1月から今大会まで約200日の間で合宿は143日。1日の平均練習時間は12時間以上。朝7時30分から午後1時30分、同2時30分から同6時30分、同8時から同10時30分。その後は個別でケアなどを行う。井村HCは「練習以外に自らを支えるものはない。16日間の合宿なら休みは1日」。その休日も休めない。与えられた課題を克服するため午前中は陸トレ、水中での自主練習が続く。

 (2)生活指導 ある選手の部屋が整理整頓できていなかった。「シンクロのチームはビシッと並ぶ。部屋がぐちゃぐちゃなのはあり得ないやろ。あんたらは水着もきれいで、きちんと化粧して本番に臨むでしょう」。早朝、睡眠不足と疲労から表情の暗い選手がいた。「シンクロは笑顔でやるもの。空元気で隠せ。弱そうな顔をしたら相手が有利になる。寒くても寒そうな顔をするな」。もちろん涙も禁止。「泣いても疲れるだけで何の解決にもならん。親が死んだとき以外はなし」。

 (3)なれ合い排除 今の選手は優しく、調和の取れた選手が多い。だが井村HCには物足りない。「昔の選手は失敗した人がいたら『いいかげんにしてよ』と怒った。今の子は言わない。怒ることで、自分は失敗できないとの、責任が生まれる。失敗しない人間はいない。偉そうに言って失敗できないと思うからこそ、人間は無理して頑張る」。

 日本に復帰したとき、選手たちを見て「ゆるキャラの極致。みんなと一緒にいることが大好きで、ちょっと頑張ると、自分は頑張ってるのにと。豊かで平和な日本の若者の象徴だった」という。メダルを奪還するため「精神的に追い込む」と、いつも以上の指導を自らに課してきた。

 体作りから始め、平均5%の体脂肪率減に成功。厳しい練習に、3月には12人の中で2人が離脱。それでも手は緩めない。「あなたたちはメダルなしに慣れているかもしれないけど、わたしはプライドに懸けても許せない」と言った。

 現代は硬軟織り交ぜた指導が主流で、スパルタ式は時代に逆行している。日本水連内にも批判の声は根強いが、それでも自己流を崩さない。「追い詰める指導者は少なくないが、時には緩ませるでしょう。わたしは行きっぱなしだから、きついとは思う」。選手の足は筋肉質で、鉛筆の芯のように細くなった。ロシアのようなスピードと高さのある足技も可能となった。

 お家芸復活の第1歩となるメダルを乾、三井からかけてもらった。「これだけやったもんな。良かった」。鬼の目にも光るものがあった。ただ感慨に浸ることはない。「国、言葉は違っても、自分の教えている選手に、目標のところに連れてってあげる。コーチとしての達成感は一緒」。強烈なプライドがそこにあった。【田口潤】

 ◆井村雅代(いむら・まさよ)1950年(昭25)8月16日生まれ、大阪府出身。小学校3年で大阪・堺市の浜寺水練学校に入門し、中学校1年でシンクロを始める。天理大卒。78年から日本代表コーチ。06年中国代表コーチ就任。昨年2月に日本代表コーチ、今年からヘッドコーチに復帰。