平泳ぎで五輪2大会連続2冠の北島康介(33=日本コカ・コーラ)が、現役引退を表明した。男子200メートル平泳ぎ決勝は2分9秒96の5位と、リオデジャネイロ五輪代表権獲得はならなかった。5日の100メートルでも代表権を逃しており、5大会連続五輪出場の可能性は消滅。レース後は本人、選手、元五輪選手、観客らが涙を流した。

 ショーアップされた華やかな日本選手権、日本水連の青木剛会長(69)の「これもみんな、(北島)康介のおかげ」という言葉が忘れられない。かつての「水泳ニッポン」の輝きを取り戻しつつある日本競泳界。きっかけは、北島だった。

 北島の活躍で、環境は激変した。初めて金メダルをとったアテネ五輪の04年、日本水連の事業収益は約6・4億円。北島人気でスポンサー、観客、テレビ放送権料などが増え、本年度の事業収益予算は2倍以上の約14億円。水泳界にもたらした功績は大きい。

 選手の環境も変えた。少し前までは多くが大学卒業で競技からも引退した。しかし、支援する企業も増えて続ける選手が増えた。かつては珍しかった20代後半の選手も、今は普通。北島人気で競泳が注目されたから、選手寿命は伸びた。

 88年ソウル五輪で鈴木大地が金メダルに輝いたが、引退でブームは続かなかった。92年バルセロナ五輪の岩崎恭子や04年アテネ五輪の柴田亜衣は、狙った優勝ではなかった。しかし、北島は狙って、公言して、連続してとった。時には「生意気」とも見られたが、結果で雑音を封じた。

 かつては「不言実行」が美徳とされた。しかし、北島の「有言実行」は好意的に受け止められた。若い選手は憧れ、年長者も応援した。「康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかない」。ロンドン五輪での松田丈志の言葉は、誰からも愛される人柄を表している。

 「競泳は25歳まで」「平泳ぎの連覇は難しい」-。古い水泳記者の常識は、次々と覆された。プールに流した汗も涙も、すべて「タイム」に凝縮される残酷な競技。経験は関係ない。そんな厳しさの中で33歳まで一線で戦い続けたからこそ、かつて「マイナー」だった競泳を引っ張ることができた。北島の存在が競泳界を、そして日本のスポーツ界を変えた。【荻島弘一】