プレーバック日刊スポーツ! 過去の1月30日付紙面を振り返ります。1995年の運動面(東京版)は、男子テニス、アンドレ・アガシの全豪オープンの初出場初優勝でした。

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 <テニス:全豪オープン>◇1995年1月29日◇メルボルン・ナショナルテニスセンター◇男子シングルス決勝ほか◇賞金総額824万9500豪ドル◇雨のち晴れ

 【豪メルボルン29日=吉松忠弘通信員】テニスの全豪オープン男子決勝は、世界2位のアンドレ・アガシ(24=米国)が、連覇を狙った同1位のピート・サンプラス(23=米国)を逆転で下し、1981年ヨハン・クリーク(南ア)以来、全豪史上14年ぶり5人目の初出場での優勝を飾った。また、アガシは優勝賞金48万豪ドル(約3600万円)を獲得するとともに、昨年の全米オープンに続き4大大会2連勝となった。

 最後は、対戦相手のサンプラスのお株を奪うようなサービスエースだった。初めて挑戦した全豪を制したアガシは、「ぼくは本当に、この2週間、優勝に値するようないいプレーを続けたと思う」と胸を張った。

 会場内には、「アンドレ・ザ・ジャイアント・キラー(アガシは偉大な殺し屋)」というアナウンスが流れた。アガシにとって、豪州遠征は一つのかけだった。前年までは、常にこの時期をトレーニング期間に充てていたが、「そろそろステップアップをしなくてはならない」という理由で、新たな挑戦を試みた。

 「昨年の全米に勝ったことで、自分がひと回り大きくなったような気がした」との言葉通り、アガシは大会前から自信に満ちていた。決勝まで、1セットも落とさずに勝ち上がってきた。決勝戦では、第1セットを落としたものの、第2セットの滑り出しで、サンプラスのサーブを初めて破ると、4ゲームを連取。第3セットもタイブレークで、4-6とサンプラスのセットポイントから4ポイント連取と、爆発的な強さを見せた。自慢の200キロ近い弾丸サーブを、何度もリターンエースされたサンプラスは「(アガシのリターンは)世界最高」と絶賛するしかなかった。

 トレードマークの長い髪をバッサリ切り、まが玉模様の赤いバンダナで頭部を包んだ新スタイルも、豪州のファンを熱狂させた。サイン入り写真は飛ぶように売れ、何度も黄色い歓声が飛んだ。最高の歓迎と結果に、アガシは「今まで来なかったことを悔やむよ」と苦笑しながら、コメントを続けた。「テニス人生で、大きな転機となった」。初出場初Vを、まだ見ぬ世界1位への足掛かりにするつもりだ。

 ★初出場優勝メモ 全豪オープンでは、74年にジミー・コナーズ(米国)が初出場で優勝したのが最初。続いて77年1月大会ではロスコ・タナー(米国)、同年12月大会ではビタス・ゲルライテス(米国)、81年にはヨハン・クリーク(南ア)が初出場優勝を遂げ、今年のアガシで史上5人目。しかし、4人の中で、翌年に連覇を果たしたのはクリークだけ。

 ◆アンドレ・アガシ(米国) 1970年4月29日、米国ネバダ州ラスベガス生まれ。24歳。4歳で元五輪ボクシング選手の父親の指導でテニスを始め、セレシュなどを育てた有名コーチ、ニック・ボロテリーに師事。86年にプロ転向。92年ウィンブルドンで4大大会念願の初優勝を遂げた。しかし、93年に右手首を手術。2カ月の休養を取り、昨年全米オープン優勝で復活した。奇ばつな風ぼうとウエアで「テニス界の革命児」と呼ばれる。歌手のバーブラ・ストライサンドなどと浮名を流したが、女優のブルック・シールズと交際中。自家用ジェット機を所有。180センチ。79キロ。米国ネバダ州ラスベガス在住。

※記録と表記は当時のもの