<北京五輪代表選考会・名古屋国際女子マラソン>◇9日◇名古屋・瑞穂陸上競技場発着42・195キロ◇出場292人(うち完走214人)◇晴れ、気温13・8度、湿度47%、南の風2・2メートル(午後0時15分スタート時)

 Qちゃんの五輪の夢がついえた。シドニー五輪女子マラソン金メダルの高橋尚子(35=ファイテン)が、完敗した。9キロ付近から遅れ、2時間44分18秒で27位。レース中、トイレに駆け込む珍事もあり、順位、記録とも自己ワーストで、2大会ぶりの五輪出場はなくなった。レース後、昨年8月に米国で右ひざ半月板の手術を受けたことを告白。練習が不足し、約7カ月の準備で間に合わせる思惑が外れた。現役引退は否定したが、今後については「次の夢がある」とだけ話し、明言を避けた。

 長い、長い、42・195キロだった。トップの中村がゴールしてから、18分半後、拍手と声援を浴びながら、高橋が重い体をゴールに運んできた。まさかの27位。マラソン11戦目で、初めての2ケタ順位、記録は自己ベストから24分以上も遅い。テレビ中継に、ゴールシーンは収まらなかった。

 高橋

 やっちゃいました。でも、これが夏からやってきた実力なんだと思います。こうしておけばという後悔は見当たりません。

 記者会見場でフラッシュを浴び、こう切り出した。涙はない。潔く言った。

 勝負にならなかった。スタートの5キロは、17分53秒のスローペース。選考レース特有のけん制し合う展開になった。にもかかわらず、9キロ付近で遅れ始めた。

 高橋

 ここまで走れないとは思っていなくて、スタート地点に立つまでは優勝も頭に入れていた。自分でも不思議、夢かなと思います。体が動かなくて、おかしいなと思いながら走っていました。

 37キロすぎには腹を下し、ランナー用のトイレに駆け込んだ。初めてだった。朝食も通常通りにとり、体調は悪くないはずが、内臓に異常が生じていた。

 実は昨年8月1日に手術を受けていた。米コロラド州ボルダーでの合宿中の同7月、右ひざに違和感を覚えた。5年前からの古傷だった。現地で診察を受け、手術を勧められた。半月板がめくれ、関節に入り、痛みが生じていた。「たとえ手でも、メスを入れるのはやめた方がいい」。主治医だった故・小山医師の言葉が、頭を駆けめぐった。

 選考レースに間に合うのか―。インターネットで症例を調べた。チームで情報を集めた。「やらないと時間がない」。決断した。半月板の約半分を切除。3カ所に穴を開けて行う内視鏡手術だった。家族にも言わない、チーム内での極秘事項。松葉づえをつき、歩くことから、準備を始めた。

 ほぼ同時期、調理担当が体調不良でチームQを離れた。「たった3人をまとめられない。世の中の社長さんはなんてすごいんだろう」と漏らすこともあった。

 高橋

 8月からやれることはやってきました。あきらめそうになった時、「あきらめちゃダメだ」と何十回、何百回、何千回と自分で繰り返してきました。

 練習不足だった。1日70キロの走り込みができるようになったのは、今年1月の中国・昆明合宿から。痛みとも闘った。距離は踏めても、スピード練習ができなかった。35歳。回復も遅れる。自然の摂理に逆らえなかった。だからこそ「今の実力なんだと、後悔もない」と振り返った。

 「あきらめなければ夢はかなう」。これを優勝者として伝えることが今回のテーマだった。連勝が止まった03年11月の東京国際女子マラソンは「迷ってフラフラしていた」という。日本記録も世界記録も出した。五輪で金メダルを取った。すべてを手に入れ、単に優勝を目指すだけではモチベーションが保てない、超一流ゆえの苦しみだった。

 高橋

 引退の声もありますが、まだやりたいことがある。チームQのみんなにも「もう少し一緒にやってくれる?」とお願いしたら、首を縦に振ってくれた。陸上生活は続けていきたい。何をするか明かすのは、マネジメントの方に「もう少し控えるように」とくぎを刺されました。

 12年ロンドン五輪への挑戦は頭にない。「次の目標は決まっているので」とだけ言った。五輪出場は消え、常識的に記録も狙えない。普通の大会ではモチベーションになりえない。かつて100キロマラソン挑戦を将来の夢として語ったことがある。高橋尚子第2章へ―。希代のマラソンランナーは、1つの転機を迎えた。【佐々木一郎】

 指導者不在が結果に影響したのかもしれない。「8月に手術を受けて、3月にマラソン復帰」。高橋の22年間におよぶ練習日誌をいくらめくっても、このノウハウは書いてない。距離を踏んだが、スピードへの対応ができなかった。にもかかわらず、優勝を念頭にスタートラインに立った。自分を客観視しきれなかった。引き出しの多い指導者がいれば、違った結果が出た可能性はある。

 05年に自分の意思で小出監督から独立した。しかし、この挑戦を批判する気にはならない。この日のレースに限れば、よりよい策があったかもしれないが、大局的に見れば小さな話。指導者にべったりで、ロボットのように走る選手は、人間的な魅力にも欠ける。高橋を指導した大阪学院大の山内武准教授も「(引退後も含めた)将来的なことを考えれば、間違いなくプラス」と言い切る。世界記録を樹立し、金メダルも取った。その偉業は少しも色あせない。こんなレースも、ありだと思う。【佐々木一郎】◆シドニー五輪後の尚子苦闘メモ

 ▽入院

 01年5月、千葉県佐倉市内の合宿所そばで、右足首をムカデかヘビにかまれ、緊急入院。点滴3本打った。

 ▽血便

 01年12月

 練習後に血便が出たため、緊急入院。検査の結果、虚血大腸炎と診断された。原因は疲労とストレス。

 ▽骨折

 02年11月、左肋骨(ろっこつ)の骨折が判明。同月の東京国際女子マラソンを欠場した。

 ▽退社

 02年末いっぱいで、小出監督が積水化学を退社。佐倉アスリートクラブでの指導に専念することになった。高橋も03年2月に退社。

 ▽失速

 03年11月の東京国際女子マラソンで終盤に失速し、2位。連勝が6で止まった。

 ▽落選

 03年3月、東京国際の敗戦が響き、アテネ五輪代表には選出されなかった。

 ▽骨折

 04年9月に米ボルダー合宿で右くるぶしの骨を骨折。全治3カ月で、世界選手権代表最終選考レースに出場できなくなった。

 ▽決別

 05年5月に約11年間師弟コンビを組んできた小出監督からの独立を発表。スタッフ3人と「チームQ」を結成して新体制で再スタート。

 ▽惨敗

 06年11月の東京国際女子マラソンで3位に終わった。日本人に負けたのは、97年の初マラソン以来、9年ぶりだった。(2008年3月10日付日刊スポーツ)